高木登 観劇日記2020年 トップページへ
 
   第28回荒井良雄娑翁劇場 『ジュリアス・シーザー』(後篇)      No. 2020-014
 

 コロナ禍で1月の公演以来、実に半年ぶりの公演。
 出演者は全員フェイスシールドを着用し、観客も予約者8名だけの限定で、舞台前面の観客はフェイスシールドを着用し、万全のコロナ対策を取っての上演である。
 会場の喫茶ヴィオロンそのものが密な空間であるため、公演には相当に神経を使ったことだと思う。
 プログラムもいつもに比べてコンパクトで、SPレコード鑑賞も開演時のみの演奏で、演目はエルガー作曲「愛の挨拶」なんとなくこの日を象徴するような曲目。
 第一部の日英朗読もシェイクスピアのソネット朗読(73番と97番)のみで、いつもの尾崎廣子さんの辻邦夫の作品の朗読はなく、この第一部が終了すると換気のために5分間の休憩。
 第二部の逍遥訳シェイクスピアの作品は、コロナ禍で延期となっていた『ジュリアス・シーザー』(後篇)。
 出演者は新地球座のメンバー3人に加えて、アントーニャス役に菊地真之、オクテーヴィヤス・シーザーに西村正嗣が客演。後篇部には女性登場の場がないため、新地球座代表の倉橋秀美は「序詞役」として登場し、冒頭部でシーザー暗殺に至った場面の口上と、途中、場面の要所で状況説明の口上を語る役を務めた。
 今回の期待の場面は何と言っても後篇の眼玉であるブルータスとアントーニャスの演説の場面であるが、高橋正彦が演じる「理」に訴えるマーカス・ブルータスと、菊地真之のアントーニャスの「情」に訴える演説は、期待を裏切らない見事な聴かせどころとして堪能させてくれた。特に、菊地真之のアントーニャスの演説は鬼気迫るものがあり、文字通り息をのんで聴き入った。
 ブルータスの演説は市民に対して上からの目線で理に訴え、シーザー暗殺の正義を納得させようとするのに対して、情に訴えるアントーニャスは市民と同じ目線に立ち、ブルータスらを立てることにより自らを低からしめるが、ブルータスの公明正大さを繰り返し強調することで逆にそれが正しい事かどうか市民たちに疑念を抱かせることになる。その両者の目線の差が高橋と菊地のせりふ回しで見事に体現されていた。
 次なる見どころ、聴きどころは、久野壱弘の演じるケーヤス・カシヤスと高橋正彦の演じるブルータスの内輪喧嘩の口論の場面。
 カシヤスの久野と高橋のブルータスの激と静のコントラストが見事にさえていて、二人の口論の結末に息をのませる。ここでもブルータスはカシヤスに対して上から目線で説き伏せようとする。
 それに対して理知よりも情が先行してカシヤスは、アントーニャスとオクテーヴィヤス軍との戦いの戦略に、ブルータスの意に従ってしまう。
 久野のせりふ回しがカシヤスの悲劇性を巧みに浮かび上がらせ、さすがだと感じ入った。
 客演の一人、西村正嗣のオクテーヴィヤス・シーザーも朗々としたせりふ回しで若さのすがすがしさを感じさせてくれ、彼の新地球座でのこれまでの出演の中ではもっとも秀逸な台詞力だと聴き入った。
 前篇でも笙演奏で出演された東儀雅楽子さんが今回も笙演奏を務められ、和洋の調和を紡ぎだされ大いなる効果を高めてくれた。お見事というほかない。
 朗読劇は40分程度の上演であったが、聴きごたえのある朗読劇であった。
 

翻訳/坪内逍遥、監修/荒井良雄、台本構成/高木 登、演出/高橋正彦
笙演奏/東儀雅楽子
7月22日(水)18時30運開演、阿佐ヶ谷・喫茶ヴィオロン

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