高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   流山児★事務所公演 『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』  No. 2019-005

 公演のチラシから。
 <2017年秋、佐藤信の『喜劇昭和の世界』三部作連続上演を完成させた演出家:西沢栄治と、流山児★事務所でしか出来ない「歌って踊るスペクタクル」を座・高円寺でやろうぜ!という事になり、清水邦夫の「まぼろしの名作」と呼ばれている『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』の上演を決定しました。
 2018年夏、全国から多くのジュリエットたちに早稲田に集まってもらいオーディションを行いました。それぞれの歴史を染み込ませた個性あふれる女優たちを決定し、実力派俳優たちと師走から新年にかけて本格的に稽古を開始しました。>

 『雨の夏』は、1974年に蜷川が日生劇場で『ロミオとジュリエット』を上演して櫻社が解散されて以来はじめて清水邦夫と蜷川幸雄の9年ぶりのコンビで82年5月日生劇場で上演されているが、「メタファーとして、これは櫻社を解散した俺たち自身の話なんだ、とお互いに分かっていた」(注1)という蜷川自身の言葉を待つまでもなく、櫻社解散の因縁の作品であることは容易に察することができる。

 <深夜、百貨店の大階段で,『ロミオとジュリエット』が演じられていた。ジュリエット役は、このデパートにあった石楠花(しゃくなげ)少女歌劇団のヒロイン・風吹景子。戦争中の慰問で空襲に遭い、記憶喪失で寝たきりだったが、戦後30年を経て、大火の炎を見て記憶を取り戻し、ジュリエットの稽古を始めた。熱烈なファン「バラ戦士の会」の男たちが、消滅した歌劇団復活のため立ち上がる。新聞での呼び掛けに、かつての少女たちが集まった。>(注2)

 ロミオ役は、今では地方の名士となった元バラ戦士たちと若い新聞記者(彼の父親がバラ戦士の一人であった)で、彼らは景子の相手役の男役スター弥生俊の代役。
 この弥生俊をめぐって、行方不明であった彼女が再会料を要求してくるところから、少しばかりミステリー的要素が絡んでくる。彼女は空襲が原因で失明しており、親子ほど年の離れた妹が身の回りの世話をしており、再会料を要求したのはその妹と名乗る人物であった。
 妹と名乗る人物は俊の娘であったのだが、父親は誰であったのかがバラ戦士の間で問題となるが、バラ戦士の一人ではないが本人も忘れてしまったと俊は言う。
 伏線としての面白さは、この弥生俊だけでなく、バラ戦士の新村と義理の妹で振付師の夏子との関係も微妙で、ロミオ役の俊とジュリエット役の景子が死んだ後、最後の場面で夏子が大階段の最上段に立って「あわてるな、光が身体にあふれるのを待て…でもなぜだ、急に時間の足がおとろえたのか、すべてが止ってみえる、すべてが死んだように動かない、みんな動け!動け!動け!そして自分の歌をうたえ!まずは自分の歌をうたえ!」(注3)と叫ぶ。その夏子の姿は、この演出では上半身血まみれで、手には剣を持っていた。
 台詞では、景子の「死んだマネより、生きたマネ」「生きたマネより、死んだマネ」と繰り返し語られるキーフレーズが胸に響いてくる。
 元石楠花少女歌劇団員を演じる年齢構成も様々な30余名の女優群が壮大で圧巻であるが、82年の上演では、主演の景子を淡島千景、俊を久慈あさみ、ほか加茂さくら、甲にしき、汀夏子をはじめ元タカラジェンヌ40人が出演したという。
 今、この作品を観る機会を得ることが出来たことを喜びとしたい。
 上演時間は、休憩なしで2時間(チラシによれば、台詞を一部カットしているという)

 

作/清水邦夫、演出/西沢栄治、芸術監督/流山児祥
2月3日(日)14時開演、座・高円寺1、チケット:(シニア)3500円、座席:B列11番

 

(注1)(注2):高橋豊著『蜷川幸雄伝説』(河出書房新社、2001年刊)より引用。
(注3):清水邦夫著『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた/エレジー』(ハヤカワ演劇文庫、2009年刊)より引用。

 

>> 目次へ