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  ゲッコーパレード・戯曲の棲む家公演 vol.8 『マクベス』     No. 2018-042

 出足から挫かれた感じ。メールによる公演案内によると、蕨駅に開演10分前に集合し、そこからすでに公演が始まっているように書かれていたが、実際には駅で料金2500円を払って「月光新聞」を受け取り、そこから各自一人で旧加藤家住宅まで歩いて行くことになった。
 会場の旧加藤家住宅に入ると、8畳の座敷の中央に座卓が置かれ、奥に白い衣装の女性が控えており、座卓の周囲には座布団が4つだけ。ということは、この日の観客は4名だけ?果たして、自分の後から来た観客はわずか2名の若い女性のみで、この日の観客は自分を含めて3名であった。
 開演前に小さな紙切れを渡され、今自分が考えていることなどを書くように指示されたが、何も思いつかなかったので'Nothing'とだけ書いた。思いついたきっかけは『リア王』のコーディリアの台詞の'Nothing'からであったが、すぐに『マクベス』の'Tomorrow speech'の'Signifying nothing'を思い出した(結果的には、この自分の書いたフレーズは皮肉にもこの劇を象徴するものとなった)。
 この紙切れは、それぞれ横の人に渡し、渡された人はその紙きれを好きなように切って、別途、瓶の中にある文字の書かれた小さな紙切れと貼り合わせるようにということであった。
 劇中、この紙切れが何かに利用されるかと思ったが、終わってみれば何もなく肩透かしを食った感じであった。
 開演になると部屋の電灯が消され、奥に座っていた白い衣装の女性(山本瑛子)がそのままの姿勢で、マクベス夫人となってマクベスからの手紙を読み始める場面から始まった。
 その後の進展は、共に白い衣装をまとった山本瑛子、河原舞、崎田ゆかりの3人によるマクベス夫人、マクベスの台詞をギリシア悲劇のコロスのように入れ替わり語って、物語の進展はモザイク模様のように断片的に、螺旋状的に進められていく。
 ただ一人の男性出演者、上池健太は「俺はマクベス」と語るほか、門番の台詞を熱っぽく語る。
 物語の進展に従って、観客の我々は8畳の座敷から隣の6畳の部屋に移動させられ、また、2階の部屋にも移動させられる。2階の部屋には、マットをはずしたベッドが置かれ、その上に模型の電車とレールがセットされていて、それを動かしているところを見させられる。
 2階の部屋に案内した崎田ゆかりが、巫女のお払いのような仕草で窓のカーテンを開けると、そこには短剣や人の足が描かれたA3サイズの白い紙が貼りつけられている。ただそれだけのことで、それらを見せられて再び階下に降りる。
 最後は、6畳の間にまた座らされて、目の前に見えるキッチンでは、崎田ゆかりが電子レンジのスイッチを入れると、暫くして「また明日」の台詞の録音が、無機質な機械音で聞こえてくる。その台所で、水槽に入れられた死んだ魚(鯵)を取り出して、山本瑛子がエプロン姿になって包丁で捌き、捌き終わると、それを寿司ネタにして(実際には多分船盛にあらかじめ寿司が用意されている)船盛に入れ、3人がそれぞれ一つずつ口にほおばって退場し、その後、上池健太が登場して終演を告げる。
 前半部はまだしも『マクベス』の物語の進展を味わうことができたが、後半部はまったく意味も関連性もない展開で、全体の意味を関連付けるとすれば、'It is a tale told by an idiot, full of sound and fury, signifying nothing'であった。その意味では非常にアイロニカルな意味で象徴的でもあるが、閉塞的で自己満足的なところで自己完結してしまっている印象は拭えなかった。
 上演時間は、70分。

 

訳/松岡和子、演出/黒田瑞仁
8月20日(月)13時開演、蕨市・旧加藤家住宅にて、料金:2500円

 

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