高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   シェイクスピア・カンパニー公演 『アイヌ旺征露』        No. 2018-031
 

この日は東京は真夏日で最高温度が31度を超す暑さであったが、開場1時間前に先頭に並んで、最事前列中央の席をゲット、開演前には400席の会場もほぼ満席状態であった。
舞台は、時代設定を江戸末期、万延元年(1860)とし、蝦夷地をロシアの侵略から防ぐための防衛警護に当たる仙台藩の、藩士ブラバンショー(劇中での名前は草刈番匠)の娘デズデモーナ(貞珠真)と仙台藩エトロフ脇陣屋筆頭頭御備頭のアイヌのオセロー(旺征露)が、アイヌの衣装でアイヌの儀式に従って結婚式をあげている場面から始められ、この悲劇のシンボルであるマタンプシ(鉢巻)がオセローの手でデズデモーナの頭に巻かれる。
以後の展開は原作に沿って進行していく。
主な登場人物の名前は原作の音に従った命名で、イアーゴーが井射矢吾、エミリアが恵美利亜、ロダリーゴが驢駄狸吾、キャシオが白河華士郎、ビアンカが媚杏香、モンターノ―が門太納など。
下館版シェイクスピアは悲劇もハッピーエンドで終わらせることが多いので最後がどうなるのか楽しみであったが、オセローがデズマをマタンプシで絞殺し、自刃して果てる。しかし、一旦暗転した後、デズマが静かに目を覚まし、優しく旺征露に手をかけると彼もゆっくりと目を覚まして、二人は手を取り合って舞台奥の彼方へ消えていくことで、救いを感じさせた。
上演後のアフタートークで演出者の一人下館和巳が、シェイクスピアというのは理解したと思っても実は理解できていない、というような内容を語っていたが、その事を実感として感じさせてくれたのは、共同演出者の秋辺デボの言葉で、この作品のテーマの嫉妬を「差別」として見抜いていたことだった。
アイヌとして内地の日本人との差別を身をもって体験してきた者だからこそ言い切ることが出来る言葉で、いわゆる差別言葉に対しても、その言葉を避けることで差別をしている現実にも触れた。
秋辺は、オセローをアイヌにし、イアーゴーをアイヌと和人の混血にすることで、イアーゴーのオセローに対する嫉妬の原因を明らかにしている。
そのことは、秋辺の演出ノート、「アイヌの私からすれば、日本人というのは異民族との付き合い方を知らない民族で、異民族との関係を想像することは出来ても理解することは出来ないと思っている」にもよく表されている。
秋辺は、同族であるからこそ嫉妬も強いと語る。そのことを理解すると、イアーゴーの動機がはっきり見えてくる。
同じアイヌであるオセローは出世し、しかも美人の和人の妻を娶っている。同じアイヌだと思っているイアーゴーは副官にしてもらえると思っていたが、オセローがアメリカ帰りのきざなキャシオを取り立てたことで、妬み、嫉妬の炎を燃やす。
そのイアーゴーを演じる水戸貴文が、オセローを演じる犹守勇を嫉妬の狂気に追い込んでいく演技を熱演し、秀逸で見ごたえのあるものであった。
アメリカ帰りという設定のキャシオ役の佐々木けんじが、'reputation'や'Thanks'と英語を交えたキザな台詞で笑いを誘ったのも一興であった。
今回この舞台を観て多くの事を考えさせられたが、オセローとデズデモーナ―との結婚は、いうなれば黒人と白人の結婚で、一昔前のアメリカでは犯罪に等しい行為であったことまで思い起こさせたのもその一つで、デズマの父親は武人として優れたオセローを自宅に招いて彼の話を親しく聞いたが、娘との結婚は別問題で、人種が異なるという偏見、差別をしてしまう。
その気持の表れが、この劇では、アイヌと和人という区別を取り入れることで、はっきりと見えてくる。
下館和巳が使用を臆した差別表現についても、共同演出の秋辺デボは、自身がアイヌであるからこそ大胆に取り入れて表出したことをアフタートークで語っていたが、今回はこの共同演出が、成功の大きな秘訣、要素であったと思う。
台詞は東北弁とアイヌの言葉で語られるが、言葉の理解に障壁を感ずることなく、かえってその言葉の温もりが感じられる舞台で、言葉の響きを楽しんで聴くことが出来た。
主な出演者は、デズマを可憐に演じた石田愛、エミリアを増田寛子、ロダリーゴの男役を及川寛江などが演じ、アイヌの踊り子として舞踏集団「ピリカッ」のメンバー5名が参加。
上演時間は2時間で、下館和巳と秋辺デボのアフタートークが15分。


脚本/下館和巳・渡邉欣嗣、脚本構想/下館和巳・丸山修身・鹿又正義・菅原博英
共同演出/秋辺デボ・下館和巳、
監修/榎森進(アイヌ民族史研究家)・秋辺デボ(ユーカラ劇脚本演出)
6月9日(土)16時30分開演、国際基督教大学ディッフェンドルフ記念館・東棟オーディトリアム
料金:2500円、全席自由席

 

>> 目次へ