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  新国立劇場公演 『赤道の下のマクベス』            No. 2018-010

B級戦犯死刑囚たちが演じる『マクベス』

 1947年、赤道直下のシンガポール、チャンギ刑務所、BC級戦犯死刑囚を収容するPホールが舞台。
 Pホールに収容されているのは、泰緬鉄道建設に当たって捕虜虐待の容疑で死刑の判決を受けた3人の日本人と3人の朝鮮人の6人。
 死刑が執行されるのをただ待つだけの日々の中で、一日の楽しみは日に2度の食事、それも朝食はビスケット2枚と具のないスープ、夕食もおかゆのような粗末な食事だけで、彼らは始終腹をすかしている。
 朝鮮人の朴南星(池内博之)はかつて劇団にいたことがあるが、たった一度の出演で父親の反対で連れ戻されてしまう。その彼が初めてでしかも最後の出演となった作品がシェイクスピアの『マクベス』で、彼の役は魔女が呼び出す幻影の役で「マクダフに気をつけろ」の台詞だけであった。
 朴はその時の台本を大事に持っていて、兵隊たちの娯楽、慰問でこの『マクベス』を演じたりもしてきている。
 Pホールでの収容期間が3か月過ぎても死刑執行が行われていないことで、朴はそこにわずかな希望を見出すが、皮肉にもその喜びも束の間、彼と日本人の職業軍人、山形大尉(浅野雅博)と、無罪を主張し続ける小西(木津誠之)の3人に翌朝9時の死刑執行が告げられる。
 死刑執行の前夜には最後の夜ということで刑務所からご馳走が供せられる。
 朴はその御馳走を前にして、余興にこれまでにも一緒に『マクベス』を軍隊で演じた黒田(平田満)と二人で、『マクベス』の一場面、マクダフ夫人とその子供―この劇中劇では女の子になっているが―、朴がマクダフ夫人に扮し、黒田が女の子を演じる。
 朴は劇を続けながら、マクベスは王になれる可能性を持っていながらなぜダンカンを殺したのかという疑問を抱く。
 魔女の予言と誘惑などではなく、朴がたどり着いた結論は、マクベスは自ら破滅を求めていったということであったが、それは自分の運命と重ねての結論であった。
 捕虜虐待は自分が求めてやったことでもなく、軍隊に入ったことも本来的には自分が求めてなったものではなく、すべて強制されたものであるが、朴は他に選択肢があった筈だと言う。というか、自らを納得させるように言う。
 しかし、同じ朝鮮人の金春吉(丸山厚人)は、他に選択肢はなかった、選びようがなかったと強く否定する。
 金は、同郷の親友が山形大尉の虐待で自殺したことと、自らも虐待を受けたことで彼を憎んでおり、何度も殺そうと試みるがみんなから止められる。
 この3人の死刑執行を前にして、収容所の彼らの過去があぶり出されていくのだが、『マクベス』は直接的には何の関係性もないのだが、マクベスのダンカン殺害のテーマと結び付けて大いに関連性を持たせる。
 BC級戦犯を扱った劇では井上ひさしの『闇に咲く花』があるが、その理不尽とも思える死刑執行について重く考えさせられたものだった。
 朴は、当初、自ら進んでやったことではなく強制されたことだとして自分の罪を否定していたが、他に選択肢があった筈だということで、死刑執行を前にして自分の罪を受け入れようとしている。そうでもしなければやりきれないからである。
 人は、極限の状況に置かれた時、その状況とは不釣り合いな行動を取ることがあるものだ。
 無実を主張し続ける小西は、余興にうんこに小便がかけられ、そのうんこの断末魔の様子の芝居や、ナメクジが塩をかけられてしぼんでいく様子を演じるが、見ている観客の自分たちの方が身をつまされながらも、その面白い表現におもわず笑ってしまい、そこにこの重苦しい雰囲気の中での救いを感じる。
 朴が『マクベス』を演じたり、ひょうきんな行動を取った後、深刻に、「生きてぇなぁー」と声を絞り出すようにして身をエビのように折り曲げ、地にうつ伏して慟哭する場面では身につまされて目頭が熱くなった。
 内容的には重いが、このようにところどころ笑いの場面を挟むことで、一層その深刻な重みがのしかかってくる。
 鄭義信の作品はこれまでにもいくつか観てきているが、その言葉遣いや表現に、九州、筑豊の土着の臭いがプンプンと漂い、北九州小倉の生まれ、育ちである自分にはそれが近しく心に響いてくるだけでなく、原体験のように自分の血が騒ぎ出す気分になる。
 井上ひさしの『闇に咲く花』を見ていてもそうだったが、この劇を見ていても、本来的な責任者である大本営の責任は問われることもなく、取ることもなく、またさらにその上の者も責任を全く感じていないということにいつも腹立たしい怒りを感じる。
 職業軍人らしく、収容所内では他人と交わることもなく、寡黙で只一人でいることの多い山形大尉が、この戦争を「聖戦」として信じ切っているところを見せる場面があり、物事をきれいごとで済ませていないところが、この劇を一層重層的にしていた。
 処刑の絞首台は、Pホールから絞首刑の様子が見えるという位置にあり、実際のチャンギ収容所のPホールと同じ設定だという。舞台でも処刑される場面がPホールの収容者が実際に見ることになり、その残酷さが痛々しい。
 上演時間は、途中休憩15分を挟んで、2時間45分。

 

作・演出/鄭 義信、美術/池田ともゆき
3月9日(金)13時開演、新国立劇場・小劇場、
チケット:3078円、座席:(B席)バルコニー、LB列25番

 

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