高木登 観劇日記2017年 トップページへ
 
   シルヴィウ・プルカレーテX佐々木蔵之介 『リチャード三世』     No. 2017-050
 

プルカレーテの上演台本は最初台詞の3分の1がカットされていたらしいが稽古の中でさらに削られていったというだけあって相当な台詞のカットがあり、場面は非連続的な連続であったが、その理由はプルカレの稽古のあり方にもあったようだ。
非連続的な連続という比喩は、シェイクスピアの劇の約束事では、全員退場が場面の転換を示すものだが、この舞台では次に登場するはずの人物がそのまま舞台に居残っていて、場面転換した時にその場面の登場人物として表に出て来ることから感じたことである。
その非連続的連続性は、プログラムにある演出補の谷賢一の稽古場の記録に、稽古をしていた1幕が次の日にはいきなり3幕に飛んでの稽古に入ると書いてあったが、その事も影響しているように思われる。
以上のようなことは観劇後にプログラムを見て確認できたことだが、観劇中はカットが多いだけに場面の転換や台詞の内容を頭の中で反芻するのに忙しく、また、既成概念・イメージを次々とぶち壊していく展開に気が抜けず、その緊張感で非常に疲れたというのが観劇後の感覚であった。
一口で言えば、すべてが斬新で、これまで数多く観てきた『リチャード三世』とはまったく印象を異にし、通常のリアリズムとはかけ離れた演出であった。
冒頭の場面では、上は白いシャツに下は黒のパンツで、出演者が全員、中央のテーブルを囲んで、足を踏み鳴らし、グラスを鳴らし、宴会に興じているところから始まる。
そこからグロスターが舞台前面に出て来て、観客に向かって「今やわれらが不満の冬は去り、ヨーク家の太陽、わが兄エドワード王の輝く夏、か。」と語りかける。
そのグロスターの姿態は、この場面ではごく普通の身体で、台詞に出てくるような醜い姿ではないが、途中で旅行用トランクを開けて、道化の丸くて赤い鼻とカツラを付けて道化を興じる。
この道化的な付け鼻は、途中、エドワード王子とヨーク王子が登場する場面でも繰り返されるだけでなく、最後の場面でも演じられる。
グロスターの醜悪な姿態について、この場面ではと書いたのは、別の場面では背中の瘤だけでなく、腹も背中と同じように膨れ上がって蜘蛛のような姿態で、足も不自由な姿で現れるからである。
かと思うとその姿は一時的で、場面が変われば元の正常な姿になるので、その変化を追うのに目が離せない。
独白が終わると、宴会の大勢の人物の中から兄クラレンスを引き出し、道化を興じながら冗談のようにして彼に手錠をかけ、ロンドン塔送りになったいきさつを尋ね、同情を装いつつ彼を送り出す。
その時すでに二人の人物が舞台上手前方でずっと腹ばいになった状態で伏せっていて、グロスターがアンに求愛する場面にもそのままいて、クラレンスを殺す場面になって立ち上がって殺し屋役を演じる。
グロスターのアンへの求愛の場面は、葬列のイメージを感じさせる人物群が片手に椅子を持って重い足取りでゆっくりと下手から上手へ進み、その後をアンがヘンリー六世の亡骸を乗せた病院の患者用の台車を下手からゆっくりと押しながら登場してきて、立ち止まったところでグロスターが台車の下から転げだすようにして現れ、アンへの求愛を始める。
アンがリチャードに唾を吐きかける場面があるが、この演出では唾を吐きかけた後、アンはグロスターの顔をハンケチできれいに拭い、自ら求愛するような様子を示し、濃厚な接吻を交わす。
この舞台の演出で最も際立った特徴の一つは、殺された人物をリアルに舞台上に再現させるところにある。
病床のエドワード王は、点滴の医療具を付けており、そのエドワード王の前で一同の和解が為されたところでエリザベスがクラレンスの恩赦を願うと、グロスターがすでに処刑されたことを語る場面に、クラレンスの死体が入ったバスタブが運ばれてきてエドワード王以下一同がそれを見て驚き嘆く。
中でも最も生々しく痛ましいのは、幼いエドワード王子とヨーク王子の死体を、ヨーク公爵夫人と王妃エリザベスが両腕に抱いて、医療用台車の上で、血にまみれた二人の死体を拭う場面であろう。
この舞台の演出としての第2幕は、市民がグロスターを王位に押す場面から始まるが、古びて赤錆びたロッカーの片隅で、グロスターはバケツのような入れ物から一心不乱にスプーンで食事をかき込み、ワインを瓶から丸呑みしており、市長が懇願する場面でも祈祷の姿を装うこともしない。
グロスターがリチャード三世として王位の座に就いたその場面から彼の苦悩は始まり、透明のビニールに身体ごとすっぽり包まれ、まるで胎児のようにしていて、叫び声を発する。それに応えてバッキンガムが現れるが、それ以後、リチャードは亡霊の場面を除いて舞台上では彼一人きりなる。
亡霊の登場の場面では、リチャードに殺された人物が殺された順に彼の前に登場するが、彼らの台詞は歌となってミュージカル風に演じられ、最後に登場するバッキンガム公とは熱烈な接吻と、ダンスのステップさえなされる。
バッキンガムとの熱いキスは、リチャードが彼を腹心の友として抱き合う場面でもなされたが、これは共産主義国の政治家同士の儀式のようなものであることがプログラムに記されていて、プルカレの演出意図を感じさせる一つの例でもある。
亡霊は、リチャード一人に現れ(というのも舞台上ではもはや彼一人の登場しかない)、リッチモンドは映像としてしか登場せず、その他の人物も声のみの登場となる。
夢の中で、リチャードは「馬を!傷口をしばってくれ」という台詞から目覚め、「王国などくれてやる、馬を!」で現実の世界に引き戻されたところで、この舞台の要所々々で登場していた代書人に扮した人物が、椅子に座った彼に煙草を口にくわえさせ、ピストルの形をしたライターを渡し、最後に彼の鼻に道化の赤い鼻を付けて立ち去る。
リチャードはピストルのライターでタバコに火をつけ、ゆっくりと煙草を吸い始めたところで、静かに幕が降ろされ、幕が下りきって真っ暗になった状態の中で、ピストルの音がし、リチャードの最後が暗示される。
最初の場面でも赤い鼻を付け、最後も赤い鼻を付けて死ぬリチャードは、最初から最後まで道化を演じ、代書人として登場していた人物は、この道化芝居の一部始終を見届けるシェイクスピアその人ではないかと感じた。
出演者は、このエリザベスカラーの衣装を着けた代書人を演じる渡辺美佐子以外はオールメイルキャストで、アン夫人に手塚とおる、王妃エリザベスに植本純米、マーガレットに今井明彦、ヨーク公爵夫人に壌晴彦が演じ、それぞれが登場人物の中でも突出した存在感ある演技を演じたのが見ものであった。
主演のグロスター公リチャードに佐々木蔵之介、エドワード王に阿南健治、イーリーの司教・ロンドン市長に有薗芳記、ケイツビーに河内大和など、みな一癖二癖ある演技人で、この異色の演出を見事に演じ切っていた。
木下順二の翻訳では、リチャードの冒頭「今やわれらが不満の冬は去り」の台詞は「わが兄エドワード王の輝く夏、か。」と他人の台詞として客体化されていることに見られるように、リチャードをはじめとしたおもだった登場人物は、生身の人物というより、みな客体化された人物として感情移入が排除されているような所作・台詞回しであった。
木下順二訳での『リチャード三世』上演はこれが初めてであるということらしいが、誰がどういう理由で採用したのであろうか、今でも自分の中で疑問として残っている。
上演時間、途中15分間の休憩を入れて、2時間35分。

翻訳/木下順二、演出・上演台本/シルヴィウ・プルカレーテ、演出補:谷 賢一
舞台美術・衣装/ドラゴッシュ・ブハジャール、音楽/ヴァシル・シリー
10月17日(火)18時半開演、東京芸術劇場プレイハウス、
料金:(S席)8000円(プレ公演)、座席:1階H列2番、プログラム:1300円


>> 目次へ