高木登 観劇日記トップページへ
 
  ゲッコーパレード公演 『ヘンリー六世』             No. 2017-044

 2階が元ボーリング場で、地下が元銭湯だったという廃墟を、各種のイベント開催用に改造した北千住アートセンターでの公演。
 改造したといっても、地下には舞台も、客席も、椅子もない、コンクリートむき出しの空間でしかない。開場に入ると、出演者も、観客も思い思いの場所に座ったり、立ったりしたままで話しており、出演者だと分かるのはそれらしき衣装からでしかない。舞台装置も何もなく、あるのは天井からつるした抽象的なオブジェや、照明用の蛍光灯、マイクだけである。
 ゲッコーパレードの公演を観るのは今回が2度目だが、名前の由来にもなっているパレードが示すように「目的ではなく人の集まりこそがパレードのように活動や表現を形成していく」信条が、演じる場所の選択にも表れているようだ。
 開演前にたまたま話しかけてきたのが出演者の崎田ゆかり。彼女は前回の『ハムレット』に出演していたので見覚えがあったが、前回出演者の渡辺恒が退団し、残っている俳優は彼女と河原舞の2人だけということで、今回出演の7名のうち5名が、このグループの活動に賛同しての客演だという。
 チラシには上演時間が90分とあったので、この三部作をどのような形にまとめるのか興味があった。
 冒頭シーンはヘンリー五世の葬儀の場から始まり、最初の台詞は崎田が扮するグロスター公の「イングランドは彼を迎えるまで王をもったことがなかった」という原作にほぼ忠実な出だしであったのは少し意外であった。
 劇中で取り扱われる主だったシーンは、第一部の内容では乙女ジャンヌの登場する場面、第二部では王妃マーガレットや暴徒ジャック・ケイドが登場する場、第三部では父親と息子を殺した親子が互いに嘆く場が主として取り上げられ、エピソードとして武具師ホーナーとその徒弟ピーターの決闘場面などが織り込まれ、話の展開は前回の『ハムレット』同様、話が戻ったり、繰り返されたりで、史劇としてただでさえ複雑なストーリーや人物関係を追うのに頭を使って疲れた。
 場面の繰り返しの例としては色々あったが、ジャック・ケイドの反乱で彼がアイデンの庭園で死ぬ場面なども、まったく関係ない別のシチュエーションで繰り返されたりしたのもその例であった。
 また、同じ役者が場面に応じて色々役柄を変え、場面の唐突な変化など、原文を読んでいる自分でさえ混乱することがあるので、ストーリーを知らない者にとっては、演じられている場面の状況や背景について理解するのは困難ではないかと思うが、それはなまじっかシェイクスピアの『ヘンリー六世』の後追いをして見ているからで、ゲッコーパレードオリジナルの『ヘンリー六世』として提供されたそのものを素直に見る方がよいだろうと思った。
 前回の『ハムレット』でもビートルズの曲(Let It Be)が使われたが、今回もビートルズの'All You Need Is Love'がテーマ曲のようにして繰り返し使用された。
 演技の場所は客席も何もないのですべての空間が使われるが、中央部に太いコンクリートの柱があるので、場所としては4区分されたような形で、時にその一区画に集中しての舞台となる時には、演技を中断して役者がその旨説明し、見やすい場所へと観客を誘導したが、自分は座っている場所からまったく動かずに観劇した。
 この公演のスタイルは、観客も参加者である一方、タイトルロールであるヘンリー六世は、傍観者の一人でもあるという演出を感じさせるものであった。
 正味90分に満たない上演時間であったが、終わる寸前どういうわけか一瞬寝入ってしまって、何か分からないまま終わりに気づいたが、演劇の可能性の追求という期待を感じさせる舞台で、今後にも期待したい。

 

翻訳/小田島雄志、演出/黒田瑞仁、8月27日(日)13時開演、
BUoY(ブイ)北千住アートセンター、チケット:2800円

 

>> 目次へ