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  カクシンハン第11回公演 『タイタス・アンドロニカス』      No. 2017-039

「仁義なきタイタス・アンドロニカス」(初演)から「最も美しい残酷劇」として再演

 3年前の2014年に『仁義なきタイタス・アンドロニカス』として上演され、今回は「最も美しい残酷劇」というキャッチフレーズでの再度の公演であったが、これまでのカクシンハンの公演のあり方から見て同じものの再演とは最初から思ってなく、どのように変容させるかに興味があったが、その観劇後の印象はポジティヴな意味で、過激、過剰、饒舌であった。
 前回と同じ役を務めるのは主役のタイタスを演じる河内大和とタモーラの白倉裕二の二人だけで、今回の役柄として大きな特徴は、タモーラやサターナイナスを演じるのぐち和美を除いてほぼ全員がアーロンを演じることで、アーロンにギリシア悲劇のコロス的な役割をさせていることであった。
 アーロンを全編通して役として演じる岩崎MARK雄大が、舞台の展開の前に英語で「悪」(evil)は視点によって異なることをとうとうと語り始め、観客の反応を見て演出家の木村龍之介が途中から舞台に出て来てそれを通訳するが、最後に岩崎は世界の人口70億の半分35億人が悪人であるということを忘れないようにと観客に訴える。
 その間、岩崎は白の衣装を脱ぎ捨て黒の衣装へと変わり、しゃべりながら墨を塗りつけ顔を黒く変えていき、アーロンに変容することで、視点を変えてみれば善も悪であることを自ら表象化する。
 岩崎のアーロンがプロローグの役を果たした後、宴会場のように料理が並べられたテーブルが舞台全面に拡げられ、一瞬、最後の山場であるサターナイナスを招いてのルーシアス率いるゴート族との和平会談の宴席の場かと思わせたが、それは先帝の長男サターナイナスと、その弟バシエイナスが帝位を争う場を饗宴の席にしたものであった。
 この始まりも意表を突くものであったが、結末にも意外性を持たせていたのもこの舞台の大きな特徴の一つで、アーロンはサターナイナスとの会談の前にルーシアスに殺されるだけでなく、赤ん坊も約束を反古にして殺され、会談の宴席では、ルーシアスはサターナイナスを殺した後ローマ皇帝に推挙されるシェイクスピアの原作とは異なって、機関銃で宴席の貴族たち全員を射殺した後自らも命を絶ち、そのまま幕切れとなって暗転する。
 その幕切れはローマの次期皇帝となるべき人物をも殺すことで近い未来との断絶を感じさせるが、強いて言えば、未来はルーシアスの息子、少年ルーシアスにあるのかも知れない。
 過剰ということについて言えば、形式的には登場人物にもその特徴が見受けられる。
 キャスティングの一覧でダミートリアスの名前を見た時デミィートリアスの誤記ではないかと思ったが、ラヴィニアを犯す場面でタモーラの息子たちのデミィートリアスとカイロンに加えて3人にしていたが、そこでわざわざ一人増やす必然性もないのだが、この劇の過剰性を特徴づけている一つでもあった。
 型破りな人物造形もこの劇団の特徴の一つで、それは随所に見られるのだが、一輪車に乗ってタイタス凱旋を迎える真以美が演じるラヴィニアは、その活発さはタモーラ兄弟に犯される場面でも発揮され、最初はタモーラや二人の息子をさんざん痛めつける強いラヴィニアを演じるが、タモーラに噴霧器で薬を吹きかけられて一変しておとなしくしなる。
 そのラヴィニアにはほかに二つほど注意して見た点がある。
 その一つは、犯された後、両手首を切られ、舌を切り取られた時の姿をどのように演出するかであるが、これはピーター・ブルックや蜷川の演出と同じく赤い紐で表象されていた。
 もう一つは、テキスト問題に絡んだ演出で、タイタスの二人の息子の生首が送り返されてきたときラヴィニアがキスをする場面であるが、本来のテキストにはト書きがなくマーカスの台詞でラヴィニアがキスをしたことが分かるだけだが誰にしたのかは編者によって解釈が異なり、一つはタイタスに、今一つにはルーシアスに、そしてこの演出の元になっている松岡和子訳では二人の息子の生首にキスをするという解釈であるが、この演出は松岡訳を使っているだけにラヴィニアは二人の兄の生首にキスをした。
 凌辱されたラヴィニアが森でさまよっているのを見つけた時のマーカスの台詞は、マーカス一人だけでなくコーラスとして複数のコロス形式で語られたのも注目すべき点であった。
 前回もタモーラを演じた白倉裕二は、今回もあえて女性らしさを装うことなく、飛び蹴りで次々に人を蹴倒したり、バック転をしたりしながらも、どこか色気を感じさせる破天荒なタモーラであった。
 疝気病み質的なサターナイナスを真逆に感じるのぐち和美が演じたのも、カクシンハン(確信犯)的な面白みのある演出を感じさせた。
 自由自在な演技でいつも楽しませてくれる河内大和が今回も主演のタイタスを演じた。
 前回の『仁義なきタイタス』を彷彿させる台詞回しなどもあって懐かしく感じる場面もあったが、中でも狩場の場面で、早朝に集まった時のタイタスの一族は、やくざそのものの所作風体であったのにも遊び心を感じた。
 劇の展開の盛り上がりの起伏では、前回と同じくラヴェルの『ボレロ』の音楽が効果的に繰り返され、たっぷりと緊迫感を味あわせてくれた。
 上演時間は、休憩10分を挟んで2時間40分。

 

翻訳/松岡和子、演出/木村龍之介
8月17日(木)14時開演、吉祥寺シアター、チケット:(先行前売り)4500円、座席:B列9番

 

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