高木登 観劇日記2017年 トップページへ
 
   Kazumapro公演 『十二夜・時代劇 恋はいたずら』      No. 2017-037
 

女歌舞伎の劇団を率いるさとうしょうの脚本・演出とタイトルの面白さもあって期待して観たのだが、期待通りの面と、こんなものかな、という感想であった。
シェイクスピア劇とはどちらかというと縁の薄いスター俳優を起用しての舞台であるだけに、彼ら(彼女ら)の見せ場を多く作る必要もあってか、原作と異なった登場人物や物語の展開があり、それはそれで結構楽しめるものであった。
特別出演の倉石功は、ヴァイオラを助ける船長の役であるが、冒頭のシーンはヴァイオラ(西崎緑)やセバスチャン(庄田侑右)が船旅をしている場面設定で、船長の権左衛門が海を見渡しているところに、ヴァイオラやセバスチャンが入れ替わって登場し、やがて空模様があやしくなって嵐となって、暗転する。
場面は一転してオーシーノ公爵(この劇では海原国の領主、前田大潮之助として小野寺昭が演じる)の邸となり、オーシーノの家臣がオリビア姫(大竹一重)の所から戻って来て、その結果を報告する。
一方、オリビア姫は腰元を引き連れ外出するが、途中、数名の無頼漢に襲われ、あわやというところでセバスチャンに救われる。二人はその場で一瞬に恋に陥るが、先を急ぐセバスチャンは立ち去り、オリビアは腰元の一人にあとを追わせるが見失ってしまう。
前夜の嵐で夫の船長権左衛門が死んでしまったものと海辺で悲嘆している女房のお香(四天王寺紅)の前に当の夫がヴァイオラと現れる。ヴァイオラは兄セバスチャンを見つけるまではこの地を離れないと言うので、お香の入知恵で彼女はオーシーノ公の小姓として仕えることになる。
船長の権左衛門と女房のお香は、その後もヴァイオラの様子伺いとセバスチャンの情報を知らせるために何度も登場してきて、二人の見せ場を作っている。
ヴァイオラがオーシーノの恋の使いとしてオリビアの所に訪れると、オリビアは命の恩人である双子の兄セバスチャンと間違えてしまう。
この物語の展開に先立って落語家の柳亭市弥がコロスとして狂言回しで、双子の兄妹であるセバスチャンとヴァイオラの関係などを説明するが、この作品の内容を知らない観客には参考になるかも知れないが、むしろ分からなくともその分からない混沌さを楽しませた方が良いのではないかと思った。自分には蛇足的な邪魔な説明であった。
原作には全くない役柄であるオーシーノの乳母、磯部の局を演じる森下友香の演技に存分に楽しませてもらったが、同じく脇役である船長役の倉石功もさすがに強い存在感があった。
本来ならばもっと強い存在感のあるマルヴォーリオ役の新本一真の演技、台詞は控えめで抑えたものであったのも、キャスティングからくる配慮の演出であろう。
主演格でオーシーノ公爵を演じた小野寺昭は、出演者の中でも一番年長であるにもかかわらず、彼よりずっと若い乳母役の森下友香から「若様」と呼ばれるが、おっとりとした演技に味わい深いものがあり、ヴァイオラの西崎緑も動というより静の演技でおっとりして落ち着いた安定感があり、オリビアの大竹一重とセバスチャンの庄田侑右の二人には、舞台の花を感じさせる華やかさがあった。
公家のスタイルでサーアンドリューを演じたけいたろうは、ちょっと見が西田敏行そっくりで、その演技声色とも面白く感じ、フェステ役は芝居の一座の座長を務める笛三郎として本倉さつき、サートービー役はオリビアの叔父ではなく従兄役として砂押正輝、フェビアンにはオリビアの腰元頭藤枝田としてまるのめぐみが演じ、出演者は総勢28名という賑やかさであった。
エンターテインメントとしてのシェイクスピアの芝居としての面白さを存分に味あわせてもらった。
上演時間は、途中10分間の休憩(内5分間は柳亭市弥の落語)を挟んで2時間10分。

脚本・演出/さとうしょう、7月21日(金)14時開演、座・高円寺2、全席自由席

 

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