高木登 観劇日記トップページへ
 
  ジョン・ケアード演出、内野聖陽主演 『ハムレット』       No. 2017-018

― フォーティンブラスをも演じるハムレット ―

 舞台はいわゆる開帳場作りだが、それが少し変形されている。というのは、舞台上の下手側も観客席となっていて、正面の観客席に対して開帳場となっているように、舞台上の観客席にとっても開帳場となるように下手側にも下りの傾斜がついている。
 斜面の舞台は役者にとって安定感がなく落ち着きの悪いものだそうであるが、この舞台では二重の傾斜となっているので一層不安定な感じを役者に感じさせているかもしれない。
 舞台奥下手側には能で言えば欄干の無い橋掛かりのような通路があり、舞台の周囲にも狭い通路が作られてあって、舞台の形は5メートル四方ほどの広さで何もなく、舞台奥のホリゾントも黒一色となっていて、舞台の変化はすべて照明が担っている。
 舞台上の特徴以外に、キャスティングで14名の出演者がホレイショー役の北村有起哉を除き、全員が一人二役以上を演じるが、クローディアスが亡霊を兼ね、ポローニアスが墓掘りを演じるのはごく普通であるが、ハムレットを演じる内田聖陽がフォーティンブラスも演じ、オフィーリアを演じる貫地谷しほりがオズリックをも演じるのは非常に珍しく、初めて見た。
 開演とともに、舞台上の薄暗い闇の中を一人の男がゆっくりと歩き回っている。
 その男が舞台中央の正面に膝をついて座し、そこに円形のスポットライトが当てられ、男は「ある、あらざる」という声を発する。そして、バナードやマーセラスの歩哨の兵士が登場する。そこで、最初の男がホレイショーであったことが分かる。
 このホレイショーの冒頭の座した姿は、ハムレットの最後の場面でも繰り返されるが、舞台はそこで終わらず、『ハムレット』の最後どおり、イギリスからの使節も登場し、フォーティンブラスも登場する。
 フォーティンブラスはハムレット役の内田聖陽が演じているので、どのように演出されるのか興味を持って見つめていたが、ホレイショーに抱かれて死んでいたハムレットはゆっくりと起き上がり、それと時を同じくして周囲の死んだ人物たち、クローディアス、ガートルード、レアティーズなども座った状態に起き上がり、両手で顔を覆うように隠している。
 ハムレットは舞台奥まで行くと、そこでフォーティンブラスの衣装を羽織って、フォーティンブラスとして舞台中央まで戻ってくる。
 最後は、ホレイショーを残して舞台上の人物すべてが、1.5メートルほどに開かれたホリゾントの奥の方へと、一人ずつゆっくりと退場して消えていく。一人残ったホレイショーは、少し間をおいて、橋掛かり風の通路から退場して幕となる。
 このように、始まりと終わりにこの舞台の特徴が集約されているが、舞台進捗の中にも観るべき特色がいくつかあったが、その中でも印象的であったのを拾いあげると、劇中劇の場面がその一つとしてあげられる。
劇中劇の王がルシアーナスに毒殺されると、「芝居を止めろ」とポローニアスが言った後、クローディアスは殺された劇中劇の王の顔を確かめるようにして覗き込んで見て、やがて思い出したように「明かりを」と叫ぶ。
 そうして王たち一同が退席していくと、ハムレット、ホレイショー、役者達は舞台上の舞台の周りを笛や太鼓、鉦を鳴らしながら唄い、踊って浮かれ回るが、その一部始終をオフィーリアがじっと見つめていて、彼らが退場してしまうと、舞台上の舞台の四隅に飾られていた白い百合の花を拾い集める。
 退場した役者たち一同は、舞台上の観客席と真反対の上手側の席(客席と同じく階段状になっている)に座って、観客と対峙したような形となる。
 第1幕はこうして幕を閉じ、15分間の休憩の後、この最後の場面がスローモーションで逆回りに繰り返された後、ローゼンクランツとギルデンスターンがハムレットに王の言葉を伝えに来て第2幕が始まる。
 今一つの特徴として、いわゆる第4告白といわれる'To be, or not to be'の台詞は例の「尼寺の場面」より前に言われ、この「尼寺の場面」はハムレットが登場してきてオフィーリアに気づいて「美しいオフィーリア」の台詞から始まる。
 翻訳は基本的には松岡和子訳を使っているのだが、この'To be, or not to be'は「ある、あらぬ」として発せられていたと思う(正確には覚えていない)。
 このように演出としては目新しい工夫があったものの、退屈な舞台で、ハムレットの内田聖陽、オフィーリアの貫地谷しほり、ガートルードの浅野ゆう子などにも見るべきものがなく、残念ながら、カーテンコールの絶賛の拍手にもかかわらず、全体としては自分にとって物足りなく、共感も感銘も受けなかった。
 クローディアスを演じた國村隼も国王としての威厳を感じなかっただけでなく、祈りの場面の台詞発声も感心できなかった。
 出演は他に、ポローニアス/墓掘りに壤晴彦、墓掘り/劇中劇の王などに村井國夫、レアティーズに加藤和樹など。出演者とは別に、藤原道山の尺八の演奏が効果的でよかった。
 大々的に喧伝される舞台は、往々にして自分にとって失望させられることが多いが、今回の舞台についても得るべきものが少なかった。
 見る目が無いと言われればその通りであるが、自分の心の琴線に触れるものがなかった。
 上演時間は、途中15分間の休憩を挟んで3時間20分。

 

翻訳/松岡和子、上演台本/ジョン・ケアード、今井麻緒子、演出/ジョン・ケアード
音楽・演奏/藤原道山、4月14日(金)13時開演、東京芸術劇場プレイハウス
チケット:(S席)7500円(シニア)、座席:1階O列22番

 

【追 記】 演出の意図について
 貫地谷しほりが演じたオズリックについて、大事なことを書き忘れていた。
 ハムレットとレアティーズの剣の試合(この演出では槍の試合を思わせる長い棒を用いている)で、レアティーズがハムレットに1本も取れず、最後の手段に出る時、これまでのただの棒ではなく、先端に刃先のついた武器をオズリックが鞘を払って渡す。
 オズリックは明らかに王とレアティーズの計画に加担している演出であった。レアティーズが自分で謀った武器で傷を負わされて倒れた時、オズリックに自分の身体を預けるようにしていた。
 このようにはっきりした演出を見せられると、うがった見方をすればオフィーリアを演じた貫地谷しほりがオズリックに姿を変えてハムレットに復讐を果たしたと取れないこともない。
 演出のスタイルとして記録しておくべき事だったので追記しておく。(2017.04.20)

 

>> 目次へ