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  戯曲の棲む家No.6 ゲッコーパレード 『ハムレット』       No. 2017-017

 公演会場が旧加藤家住宅となっているのでいわゆる旧家の由緒ある建物かと思っていたが、築40年というごく普通の住宅で、祖父母の家が長く空き家になっていたのを舞台演出家の黒田瑞仁氏が管理人として暮らすかたわら「戯曲の棲む家」として変貌させ、芸術活動に広く開放したもので、周囲も一般の住宅で、道路を挟んだ家の前は家庭菜園となっている、のどかな一隅にある木造の二階家である。
 ゲッコーパレードのゲッコーは「月光」かと思っていたが、英語のgecko(ヤモリ)のことだというが、その関連性については説明がないので分からない。
 今回の『ハムレット』は昨年8月に上演したものの再演だという。
 舞台は家の台所で、観客席は6畳の畳の部屋で、前2列が座布団席で最後列が丸椅子の席となっていて、自分はこの丸椅子の席を取った。この日は17名の観客であったが、それでもう満席状態であった。
 その6畳の部屋の以前は床の間であったろうと思われる板張りの場の観客のすぐ隣で、演出の黒田氏が照明・音響の操作を行っている。
 開演になると、部屋は雨戸を閉めて真っ暗な状態にし、やがてその真っ暗なまま台所に人の動きが感じられる。
 冷蔵庫を開けた時、冷蔵庫の明かりでそれが男(渡辺恒)であることが分かる。
 男は、何やらぶつぶつつぶやいているが、何を言っているのかは全く聞こえない。
 炊事場の流しの蛍光灯をつけてからは、男の動きもはっきりと見えるようになるが、男の動作は緩慢である。
 男のつぶやき声が次第に大きくなっていき聞き取れるようになると、それが『ハムレット』の台詞だと分かるようになった時分には、「このままでいいのか、いけないのか」という'To be, or not to be'の独白の部分となる。
 続く「美しいオフィーリアだ」の台詞以降では声色を変えて、片手に電動歯ブラシ(に見えた)、もう一方の手にスプーン(のようなもの)を持って人形芝居のようにして、ハムレットとオフィーリアの二役の台詞を発する。
 尼寺のシーンになると、舞台の上手に当たる方から、オフィーリアの台詞を言いながら崎田ゆかりが登場する。
 崎田ゆかりのオフィーリアはすぐに引っ込むが、変わって河原舞がホレイショーとして登場し、場面は亡霊が登場する夜警の場へと変じる。しかし、亡霊の後を追う決意を示すその場におけるハムレットの台詞の一部は、レアティーズとの剣の試合を前にしての台詞、「前兆などいちいち気にしてもはじまらぬ。雀一羽落ちるのも神の摂理。来るべきものはいま来なければあとには来ない」が語られ、台詞が他の場面と交錯する。
 このように台詞の場面を幾重にも動かし、先に行ったり後に戻ったり、台詞と場面を交錯させての再構築がなされており、観客の自分としてはどの場面であるかを追うという一種のゲームの楽しみを味わうことが出来る。
 音響としての音楽にはビートルズの曲を主流として使っており、ハムレットの台詞にもある'Let it be'の曲もまさしくその場面で流され、その効果と相まっての感慨を楽しんだ。
 『ハムレット』のハイライトとなる場面のほとんどの台詞が語られ、それを追うのがこの舞台の楽しみでもあった。
 ごく普通の住居に、ごく普通の台所風景、まったくの日常性の中で非日常的な異世界を持ち込んだように見せ、最後には3人が『ハムレット』の台詞をそれぞれ練習しているのを思わせる場として見せ、日常の世界に戻らせる。
 ゲッコーパレードのメンバーは、旗揚げ公演から参加している制作の岡田萌をはじめ、演出の黒田瑞仁、そして今回の出演者河原舞、崎田ゆかり、渡辺恒の全員が1988年生まれという若い集団で、その熱い思いを感じさせてくれる舞台で、一味違った『ハムレット』を大いに楽しませてもらった。
 上演時間は、1時間

 

演出/黒田瑞仁、4月3日(月)13時開演、蕨市・旧加藤家住宅にて、チケット:2000円

 

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