高木登 観劇日記2016年 トップページへ
 
   勝田演劇事務所公演No. 26 『タイタス・アンドロニカス』   No. 2016-053
 

勝田演劇事務所の公演記録を見ると、1986年の第1回から前回の25回までにシェイクスピア作品の公演はまったくない。それがなぜ、今、シェイクスピア作品なのか。その答えはないが、今なぜ、『タイタス・アンドロニカス』か、ということについては、演出の小笠原響の言葉に表現されている。
それは<タイタスが「今」そのものであるからだ>という。そして、このように続く。
<今年は選挙の年であった・・・東京都知事選、そしてアメリカ大統領選。選ぶのは国民であり、民意が国を動かすが、その民意が、単なる利害や感情にコロッと左右される、あやふやなもの>だという。
選挙という観点から見れば、確かにこの劇は先帝の死去に伴う新たな皇帝の選挙に始まり、最後も新皇帝の選出を以て終わる。
『タイタス・アンドロニカス』のキャッチコピーは、シェイクスピア流血残酷悲劇「血には血を、死には死を」で、開幕冒頭の場面は、激しい爆撃音と共に戦闘場面が繰り広げられ、最後には全員が死んで倒れ伏す。
この場面も「今」を象徴するかのようで、南スーダンの内戦、イラクのイスラム国(IS)を挟んでの政府軍と反政府軍の戦闘を彷彿させたが、昨年山の手事情社が上演した「テロリストの誕生」としての『タイタス』のように明確なコンセプトを主張する演出ではなかった。
全員が倒れ伏した静寂の中に、下手側に可動式の階段の上に立つサターナイナスが時期皇帝への支持を訴え、上手側には同じように可動式の階段の上に立つ、サターナイナスの弟バシエーナスが自分への支持を訴える。
二人の支持争いに護民官で、タイタスの弟でもあるマーカスが、アンドロニカスが全員一致で時期皇帝にふさわしいと選ばれたことを告げるが、折も折、ゴートを制圧したアンドロニカスがゴートの女王タモーラとその息子たちを捕虜にして戻って来る。
秩序を重んじる保守的なアンドロニカスは、高齢を理由に推薦を辞退し、先帝の長子であるサターナイナスを次期皇帝に推挙するが、アンドロニカスの悲劇は、この秩序を重んじる保守的な考えから招かれてくる。
『タイタス』を観る時、蜷川の『タイタス』を思い出し、ついそれと比較してしまうことになるが、その中でもタイタスの娘ラヴィニアがタモーラの息子二人に犯され、両手首を切られ、舌を切り取られた姿は衝撃的な印象であるだけに目が向けられる。
蜷川の演出では、口から赤い紐を吐き出し、象徴的な美学的な美を感じさせたが、この演出ではリアリズム的で、生々しさを感じさせた。
この舞台は若松武史のタイタスを中心軸として展開されるのを強く感じさせたが、その一方で、個性的な演技でサターナイナスを演じた笠木誠、タモーラの村松恭子、アーロンの吉田侑生、精悍なリューシアスを演じた岩戸秀年、マーカスの須田真魚、道化や将校を演じた二瓶鮫一、ラヴィニアの吉田直子などが好演して脇を支えた。
上演時間は、途中10分間の休憩を挟んで、2時間30分。

 

(訳/小田島雄志、演出/小笠原響、美術/加藤ちか、11月26日(土)14時開演、
日暮里D‐倉庫にて、チケット:4500円、全席自由席)

 

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