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  三輪えり花のシェイクスピア遊び語り第12弾 『ハムレット』     No. 2016-019

 また一つ、新しい形でのシェイクスピアを楽しむことが出来た。三輪えり花の「シェイクスピア遊び語り」は12回目となるようであるが、チラシでこの存在を初めて知って、観るのも今回が初めてである。
 チラシに「遊び語り」と合わせて「演読」とあるので、演読とはいかなるものかということにも興味がわいた。百聞は一見に如かずで、観れば演読とは何ぞや、ということも解けた。
 朗読にも、単に朗読という場合もあれば、朗読劇、劇読(Dramatic reading)などの言葉があるが、新たに「演読」という言葉が加わった。自分なりに「演読」を英語で表現すると'Playing reading'として、'Playing'には「遊ぶ」と「演じる」の両義をかける。演読とは、簡単に言えば演技を加えながらの朗読劇ということになるだろう。
 それに「遊び語り」という修飾語を付けているのは、単なる朗読劇ではなく、解説を織り交ぜての劇という構成になっていて、遊び心を加えているということであろうか。
 『ハムレット』は謎、疑問の多い作品であるが、それについて、翻訳者であり演出者でもある三輪えり花が、共演者の質問に答える形で解説を加えながら劇を進行させていく。
 たとえば、先王ハムレットが亡くなった後、なぜ第一王位継承者である息子のハムレットではなく、先王の弟が王となったのか?という疑問には、王が亡くなった時ハムレットはドイツのウィッテンベルグ大学にいて不在、しかし、王の亡くなったすきを狙って隣国ノルウェーが攻めて来ようとしているので、統率すべき王が今すぐにも必要ということで第2継承者の弟クローディアスが王位についた、という解説。
 当時のデンマークやノルウェーの領土の地理的関係を示す地図を映像で示すことによって、両国間の危機的関係も視覚的に理解できるようにしている。
 クローディアスがハムレットをウィッテンベルグ大学に戻したくない理由は、王位を奪われたハムレットがドイツを味方に引き入れて自分を襲うのを恐れ、自分の目の届くところにおいて置きたいと思ったからという見解を示す。
 また、有名なハムレットの独白'To be, or not to be'は「現状維持か、現状打破か」として訳出し、この台詞の持つ意味とハムレットの心境を説明する。加えて、これまでの訳の例を朗読で紹介し、「現状維持か、現状打破か」の訳は小田島訳の「このままでいいのか、いけないのか」に通じるという説明を加える。
 語彙の面では、オフィーリアの水死の場面で彼女が作った花環の花のキンポウゲやヒナギクは、子供が作る花環に用いるもので、オフィーリアはここで幼児返りをしていることを示し、しかもトゲのあるイラクサで手を血に染めている、というイメージを視覚的に説明する。
 その花環は原文で'fantastic garlands'と表現されているが、'fantastic'は現在の意味とは異なり「奇妙な」の意味で、語源的には'phantom'であるという解説も加える。
 最後は、朗読の書見台を取り払った空間でハムレットとレアティーズが剣の試合を繰り広げ、朗読から演技の場へと展開する。
 『ハムレット』をこれまでに読んだことのない人はもちろん、読んだことのある人にも、一層関心を持って観ることが出来る朗読劇であると感じた。
 出演者は、ハムレットに三輪えり花、ガートルードとオフィーリアを鈴木美紗、亡霊とクローディアスをオペラ歌手で俳優でもあるLuther ヒロシ市村、レアティーズとポローニアスを岩田翼、ホレイショーとロゼ・ギルの役では人形を使って嶋森勇人、ピアノ演奏はピアニストの加藤千晶。
 上演時間は、途中15分間の休憩を挟んで2時間10分。

 

翻訳・構成・演出/三輪えり花
6月3日(金)14時開演、四谷・絵本塾ホール、チケット:4000円、自由席

 

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