高木登 観劇日記トップページへ
 
  ショナルシアター・ライブ、ジョシー・ルーク演出
         トム・ヒドルストン主演 『コリオレイナス』     
No. 2016-018

 2013年から2014年にかけて、ロンドンのドンマー・ウェアハウスで公演された『コリオレイナス』の映像版。
 この舞台の特徴は、一にも二にも最後のショッキングなコリオレイナス殺害の場面にあるだろう。
 それは、1959年、ピーター・ホール演出、ローレンス・オリヴィエ主演、ストラットフォード・メモリアル・シアターで公演された『コリオレイナス』で、1945年のイタリアの独裁者ムッソリーニの処刑と同じく、コリオレイナスを逆さ吊りにした処刑を模したものであった。(注1)
 異なる点は、ホールの演出ではコリオレイナスがオフィーディアスの部下たちによって足首をもたれて逆さ吊りにされるが、ジョシー・ルーク演出では、コリオレイナスは鎖で以て逆さ吊りにされ、処刑場面の離れた場所にはコリオレイナスの母ヴォラムニアが、虚空を見つめたように放心状態で立ちつくしており、その演出を加えることで単なる模倣、二番煎じから逃れている。
 ルーク演出の『コリオレイナス』は、全体的にも暴力的なダイナミズムにあふれたものであった。
 壁際に立てかけられた梯子をよじ登ってコリオライの城郭内に一人で入っていったコリオレイナスは、味方から死んだものと思われていたのが、コリオライを制圧し、頭から上半身まで血みどろの姿となって現れる。
 戦闘が終わって、独り舞台上に残ったコリオレイナスは天井から流れ落ちてくる本水で傷口の血を洗い流す。
 コリオレイナスが逆さ吊りにされて血を流す場面でも、コリオレイナスが流す血が彼の下にいるオフィーディアスの頭上に滴り落ちていたが、このような血の場面が印象的に強調されている。
 暴力的なまでにダイナミックな場面と対称的であったのが、ローマとの和平を請うヴォラムニアの嘆願シーンである。この場面がじっくりと演出されることで緊迫感が徐々に高まっていき、頑なに沈黙を守り通していたコリオレイナスの目に涙が滲み、その涙が一筋スーッと流れて、「母上、貴方は何と大変なことをしてくれたのか」と嘆息し、「母上、母上」という言葉が絞り出すようにして繰り返され、ついに折れてオフィーディアスに相談することなくローマとの和平を自分の一存で決意し、その後で和平の条件をオフィーディアスに相談する。
 そのことで彼は予期していた通り破滅を招くことになる。
 コリオレイナスの性格をよく表しているのが見えた演出は、ヴォルサイの陣営で彼が一番の大将であるかのように、自分は終始椅子に座った状態で、オフィーディアスを脇に立たせ、彼を一武将のようにしか見ていない場面であった。
 目を引いた演出としては、護民官のシシニアスとブルータスの一人を女性にして、二人を恋人のような関係に見せ、首尾よくコリオレイナスを追放したした後、二人は熱いキスを交わした場面がそれである。
 コリオレイナスの妻ヴァージリアは、どちらかというと寡黙でおとなしい気弱な女性に思われるのだが、この舞台で演じられたヴァージリアは芯の強い気性の激しい台詞を吐いていたのも意外性のあるものだった。
 ライブの映像では、休憩時間のインターミッションで演出者のルークへのインタビューが映し出され、『コリオレイナス』を選んだ理由などが語られ、興味深かった。
 映像ではなく舞台で観れば臨場感がもっと強いものとなっていたであろうと思うと残念な気がした。
 もっとも、インタビューでの話では、チケットは初日で完売、徹夜組で並んだ者もいたというから、映像版で観られることだけでもよしとしなければならないだろう。
 主演のコリオレイナスはトム・ヒドルストン、メニニアスをマーク・ゲイテスが演じた。
 (注1) 参考資料:Lee Bliss編纂Coriolanus, New Cambridge (2000)

 

演出/ジョシー・ルーク、6月1日(水)、シネリーブル池袋、料金:3000円

 

>> 目次へ