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  彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾 『尺には尺を』       No. 2016-017

― はからずも、蜷川幸雄の追悼公演となる ―

 『尺には尺を』は喜劇の部類に入れられてはいるが、問題劇として扱われている。問題劇としての所以はさておき、この舞台はむしろ喜劇として割り切って観ることが出来た。
 水戸黄門的大衆性をもったよい意味での通俗性があり、終わり方もすっきりして感じた。
 通常、最後に公爵のヴィセンショーがイザベラに求婚する場面は、彼女が受け入れたのかどうかあいまいな所作で最後まで謎である場合が多いのだが、この演出では公爵が先にイザベラの両手を取って求婚し、イザベラに躊躇する暇を与えないのでその求婚が成立したように見える。
 シェイクスピアの喜劇の定義が最後には結婚で大円団を迎えるということからすると、死刑を免れたイザベラの兄クローディオとその恋人ジュリエット、公爵代理を務めたアンジェロとかつての婚約者マリアナがめでたく結ばれ、しかも公爵とイザベラも結ばれるという結末からすれば、3組の結婚でこの劇は間違いなく喜劇である。
 シェイクスピアの後期の作品には「赦し」や「和解」がテーマとして底流にあるが、この劇も「赦し」が一つのテーマにもなっていて、それを痛快な勧善懲悪の水戸黄門的大衆性、通俗性でスカッとしたものにしている。
 公爵を演じる辻萬長の演技がなければ、この舞台はほとんど見るべきものがないと言ってしまえば身も蓋もないのだが、前半部では特にそれを感じて眠気に何度も襲われたが、最後に公爵が正体を明らかにしてアンジェロを裁く場面になって初めてこの舞台の高揚感を感じた。
 この劇の面白さは他にも、脇筋の淫売屋の女将オーヴァダンやその召使いポンペイ、愚かな警吏エルボー、放蕩者のルーチオなどにあると思うのだが、演技巧者のキャスティングながらも今一つ物足りなさを感じた。
 この舞台のヒロインであるイザベラ役の多部未華子の台詞は、残念ながら人を動かす力を感じなかっただけでなく、藤木直人が演じるアンジェロにも人物の説得性を感じなかった。
 ただ、イザベラが兄クローディオの助命を嘆願し、それを受け入れる条件にイザベラの操を求める場面では、紗幕をうまく使って、アンジェロが自分の気持を表すのにその紗幕から出たり入ったりし、最後にその交渉が決裂する時、紗幕を引っ張り落とした演出は、両者の心的状態を表象していて効果的に感じた。
 イザベラが最初に登場する時と、最後に一人登場して小鳥を大空に放つ演出は何を意味しているのであろうか、いろいろと想像してみた。
 その他の出演者としては、ルーチオに大石継太、エスカラスに原康義、エルボーに間宮啓行、オーヴァダンに立石涼子など。
 終演後のカーテンコールの舞台上に、この公演を前に亡くなった蜷川幸雄の描かれた大きな垂れ幕が掲げられた。はからずもこの舞台は蜷川幸雄の追悼公演となってしまったのだが、シェイクスピア全作品上演もあと5作品残すのみとなり、彩の国さいたま芸術劇場ではその企画を続ける予定であることを表明している。
 上演時間は、途中20分の休憩を挟んで2時間50分。

 

訳/松岡和子、演出/蜷川幸雄、美術/中越 司、衣裳/小峰リリー
5月31日(火)13時半開演、 彩の国さいたま芸術劇場・大ホール
チケット:(S席)9500円、座席:1階R列15番

 

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