高木登 観劇日記2016年 トップページへ
 
   ITCL来日公演 『テンペスト』        No. 2016-016
 

20年以上続いているという日本への来日公演が、今回で42回目となるITCLの公演をこの時期毎年楽しみにしている。
1980年に結成されたITCL(International Theatre Company London)は、ポーランドの演出家イエジー・グロトフスキー(1933−99)の提唱する「貧しい演劇」―簡素で、禁欲的な空間と徹底した訓練による俳優の肉体を重視する劇団である。
演じる俳優は6人、舞台上には装置らしいものはほとんど使わない。
今回の舞台でも、舞台上にあるのは、背後に高さ130cm、幅3〜4mほどの横長の布だけで、それが一種の楽屋裏の役割をしている。
船長がはるか沖合を望遠鏡で眺めている平穏な船旅が、突如嵐に襲われる場面から始まる。
右往左往する船員たちの横では、エアリエルが木製の小さな船の模型を手にして揺さぶり、振り回している。
エアリエルが振り回していた船を床に置いたところで嵐がおさまり、明るくなった舞台には、楽屋裏の布からミランダが顔をのぞかせ、嵐の悲惨な光景をプロスペローに嘆き悲しんで訴える。
プロスペローはそんなミランダの様子に少しうろたえながら答える。
ITCLの舞台では6人の俳優の見事なまでの早変わりとテンポの速さを特徴としているが、今回は少しばかり様子が異なり、役柄の変化に時間を要し、その間の時間稼ぎのアドリブの所作が多くあって、舞台の展開のテンポも緩やかであった。
たとえば嵐を前にしてトリンキュローが登場する場面では、原作ではキャリバンがトリンキュローの登場を見て床に伏せって身を隠すが、この場面ではキャリバンは長い間登場せず、その間トリンキュローが雨傘を使ってのアドリブの所作が続けるが、それは、キャリバンがその直前に登場するナポリ王アロンゾーの役を兼ねていて、衣裳の着替えなどに時間を要するための時間稼ぎをしているためと思われる。
一見面白そうなアドリブの所作であるが、反面、これまでのスピード感のあるテンポが崩され、緩慢な感じを与えた。
6人の俳優だけで演じるために登場人物の省略が当然出てくるが、この舞台ではゴンザーローの登場がない。
しかし、彼の台詞の一部が、終盤になってファーディナンドとミランダによって語られるが、このような台詞の入れ替え、台詞の順序の入れ替えも、後半部に多く見受けられた。
プロスペローがミランダとファーディナンドの二人を結び付け、それを祝して妖精たちが登場し、それが終わった後のプロスペローの「余興はもう終わりだ」の台詞は、この舞台の最後に回されるが、その方が効果的に聞こえた。
窟屋の中でファーディナンドとミランダがチェスをしている場面は、二人が手を取り合ってアロンゾーのいる場面に登場して来て、ゴンザーローの「その国では、万事この世とは逆さまに事を運びとう存じます」という理想国家論の台詞を二人が掛け合いで語るという趣向に変えてある。
この舞台での特徴は何といってもこれらの最後の場面に集約されているように思う。
キャリバンの道案内でやって来たステファーノとトリンキュローは、プロスペローの窟屋に吊るされた衣装に眼が眩んで、自分の着ていた服を次々と脱いではそれを身にまとい、最後は二人ともパンツ一枚の姿になる。
その吊るされた衣装は実は何もないのだが、当初は、舞台上の約束事で、「ある」ものとして見ていたが、実際に何もないのに、二人にはそれが豪華な衣装があるように見えるのだった。
最後に彼らがプロスペローの前に連れて来られて魔法を解かれると、自分たちがブリーフ一枚の裸姿であることに気づき、羞恥でステファーノは下半身を、トリンキュローは乳首をおさえて隠す場面では、「裸の王様」の話を思い出させた。
プロスペローは大公の地位を奪って自分を追放した弟アントーニオを許し、キャリバンも解放する。
その時のキャリバンは「この島も俺のものか?」と問い、それを肯定されると、信じられないといった表情でとても複雑な喜びの表情を満面に浮かべ、プロスペローに感謝して平伏する。
モヒカン刈りヘッドのキャリバンは、おぞましい姿というより、その衣装からは、紐のような長い尻尾のあるぬいぐるみのように見え、話し方も愛嬌のある存在に感じたのも大きな特徴の一つであった。
キャリバンのように愛嬌のある存在と比較して、エアリエルはむしろ冷たい冷めた表情であった。
そのエアリエルをプロスペローは約束通り解放しようとするが、エアリエルは一旦捨てたはずの魔法の本を拾い上げてプロスペローに渡す。
その本を手にしたプロスペローは狂乱状態のようになって舞台中を動き回り、動揺が収まると、エアリエルはプロスペローを見つめた後、ばったりとその場に倒れ、死んでしまう。
エアリエルが死んだことを確かめると、プロスペローはその目をそっと閉じてやる。
キャリバンとエアリエルの、この最後の解放の場面はこれまでにも様々な演出がされてきているが、このような形で観るのは初めてであった。
このエアリエルの死はどのような意味を持つのか?!
一つの解釈の試みとして考えたのは、エアリエルが最後に魔法の本をプロスペローに手渡したことにあるのではないか、と思った。
エアリエルはプロスペローの魔法によって再生(あるいは開放)された存在で、彼が魔法を捨て去ったことにより、その存在の効力を失ったのではないだろうか。それが魔法の本に表象されているのではないかと思った。
しかしながら、謎が謎のままであるほうが舞台の印象はより効果的であり、変に謎解きをするよりその余韻を味わったほうがよいのかも知れない。
キャスティングは、プロスペローにマーク・プリンス、ミランダにレイチェル・ミドル、キャリバンとナポリ王アロンゾー(?)にグリン・コノップ、ファーディナンドとトリンキュローをマイケル・アームストロング、エアリエルとセバスチャンをジョージ・マクリーン、アントーニオとステファーノをガレス・フォードレッド。
(?)のアロンゾー役は、ITCLのチラシではガレス・フォードレッドにしているのだが、舞台を見た限りではアロンゾーはキャリバンを演じたグリン・コノップに見えたのだが、どうであろうか?
上演時間は、休憩15分を挟んで2時間半。
文中の日本語にした台詞は松岡和子訳を採用した。

(演出/ポール・ステッピングズ、5月28日(土)15時開演、
明星大学・シェイクスピアホール、全席自由席で、最前列中央の席にて観劇)

 

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