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  カクシンハン第8回公演 『ジュリアス・シーザー』         No. 2016-002

 小劇場の舞台をスケールの大きな、そして細やかな演出で、3時間以上に及ぶ舞台を最初から興奮の渦の中に呑み込まれた。
 開演前の舞台上には、石柱をあしらった舞台セットの他に、舞台中央にはバックネットのような骨組みの構造体、そして彫像を置く台座、これらはすべて白色の色調で統一されていて、地中海気候の温暖で明るいローマの雰囲気を醸し出している。
 三々五々、彫像に扮すべく登場人物たちがやってきて、いろいろなポーズでそれぞれ彫像の台座の上に立つ。
 黒いフードで全身を覆った占い師(のぐち和美)が小さな鐘を手にし、ときおりそれを鳴らしながら観客席の通路をゆっくりと、ぐるり一周回って歩いている。
 開演前から何かを予兆するものを感じさせ、期待でワクワクする。
 開演と同時に、激しく音楽が鳴り響き、台座の上の彫像たちが一斉に飛び跳ね動き出し、そして彼らは一群の群衆と化す。その群衆も全員、白い衣装。
 護民官のマララスとフレヴィアスが群衆の騒動を鎮め、群衆の一人に職業を尋ねると、彼は「小道具係」と答える。護民官は次に観客の数名に同じような質問を投げかけ、また入場前に手渡された小さなチラシに書き込まれた番号を読み上げさせ、その番号を手に持った台帳とすり合わせ、ローマ市民であることを確認する。
 ここですでに現代日本の風刺が微妙に織り込まれていることに、後になって気づかされた。そう、その番号は、国民番号のもじり、パロディであった。我々は、これからこの国民番号でアイデンティティを確認させられることになることを風刺している。
 カクシンハンの初期の作品、『ハムレットx 渋谷』や『海辺のロミオとジュリエット』は、社会的な事件を風刺的に取り込んだ創作翻案劇であったが、その後の『リチャード』以後、シェイクスピアのオリジナル路線で来ている。
 今回、久方ぶりに風刺的なものを意識的に取り込んでいるが、この政治的パロディは議事堂の場面でも大いに発揮されることになる。
 3月15日、占い師がこの日に気を付けろと言ったその当日、シーザーは元老院の呼び出しで、妻カルパーニアの制止を振り切って出かける。
 議事堂は、国会の審議の場にパロディ化され、議長席のとなりにシーザーが座り、質疑に答える。
 議員席の端の方ではカメラマンが審議の様子をビデオに撮っている。
 議長は元老院議員のシセローが務め、質疑として出されたのは、少子化対策や、軍事予算10%増に対して社会福祉に回すべきだという主張が出され、この問題に関してシーザーは、軍事費削減は安全保障に問題ありとして真っ向から反対を唱える。
 審議中に居眠りしている議員もいたりするのは、まさに現代の日本の国会中継さながらである。
 このような日本の政治問題のパロディに続き、メテラスの兄の恩赦への嘆願を契機としてシーザー暗殺の場へと化していく。
 前半部はこのシーザー暗殺の場で終わり、殺されたシーザーは休憩時間中も舞台に横たわったままで、後半部はブルータスとアントニーの演説の場から始まる。
 この前半部での見ものはなんといっても石橋直也演じるキャシアスであろう。
 『ジュリアス・シーザー』はシーザーがタイトルロールとなっているものの、彼は前半部で早くも姿を消してしまい、あとは戦場であるフィリパイで亡霊として登場するのみのため、この劇の中心人物は、普通にはブルータスとアントニーのように見られるが、この演出に関しては、キャシアスとブルータスが主役に感じられるほどで、特に、目に隈取を入れたキャシアスを演じる石橋直也の演技の印象が非常に強く、素晴らしいものであった。
 シーザーが暗殺される前の前夜、ローマは激しい暴風雨に襲われ、その中でシーザー暗殺の実行犯、キャシアスとキャスカが出会う。そのローマの街路には彫像がいくつも並んでいて、それらを窮屈なポーズであるにもかかわらず身動きせず、すべて役者たちが扮している。
 ここまでは普通のことであるが、その彫像の一つに扮しているブルータス役の河内大和が、キャシアスとキャスカが話している最中、突然ポカリとキャスカの頭を殴ったりするアドリブ的所作で観客を笑わせてくれる。
 シリアスな場面にこのようなガス抜きの演技で緊張感も適度にほぐれる。
 キャスカを演じる劇団AUNの杉本政志もカクシンハンではすっかり常連の客演となり準主役的に役を演じ、文学座の鍛冶直人もスケールの大きなシーザーを演じ、印象深いものがあった。
 カクシンハンの看板女優である真以美はアントニーとポーシャを演じたが、この日が初日であるにもかかわらず、声が嗄れているようで、声量もなく、声に艶がなかったのが気になった。そのせいもあってか、アントニーの存在感が全般的に影が薄い気がした。
 シーザーの衣装が純白で、アントニーの衣装が深紅であるという対称的コントラストが人物造形的に一役買っており、一方では、葛たか喜代が演じるカルパーニアの衣装が超派手で意表をついていた。
 随所で演出のスケールの大きさを感じさせるものがあったが、シーザーの凱旋で登場してくる時、舞台の下では上半身裸で、頭には黒い頭巾を被せられた捕虜たちを鎖に繋いで蹲った状態で歩かせる演出などは蜷川幸雄を彷彿させるものがあった。
 舞台上のバックネットのような構造体の中では、ユージー・レルレ・カワグチが軍神マルスとして戦闘場面をはじめドラムを激しく演奏するのも、この舞台で大きな役割を果たしている。
 多種多様、多彩な総勢27人の出演は壮観であった。上演時間は、途中10分の休憩を入れて、3時間15分。
 【私の感激度】 ★★★★★


訳/松岡和子、演出/木村龍之介
1月20日(水)19時開演、池袋シアターグリーン、チケット:4800円、座席:A列12番 

 

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