高木登 観劇日記2015年 トップページへ
 
  さいたまネクスト・シアター公演 『リチャード二世』      No. 2015-16
 

本来の客席を舞台にした特設舞台は、平土間の舞台をすり鉢状になった客席がコの字型に三方から囲む作りになっているのはネクスト・シアターの特徴になっているともいえる。 
ピアノ伴奏に伴って舞台奥から賑やかなざわめきとともに、結婚式の披露宴か園遊会を終えたような光景で、車椅子のゴールド・シアターの高齢の役者たちと、それに付き添うネクスト・シアターの若者たちが、全員和服姿の正装をして舞台前方へと登場してくる。 
ダンス・ミュージックとともに、車椅子の高齢者たちは全員立ち上がって、ネクスト・シアターの若者たちとペアを組んでダンスを踊り始め、それが一通り終わると、彼ら全員が見ている中で若い男性二人が軽快なダンスを踊る。 
蜷川幸雄は舞台の始まりの最初の数分が勝負だと言うが、今回のこの始まりもその観点から言えばあっと驚かせるだけでなく、老若男女という組み合わせの面白さからも滑稽味を添えてくれる。 
彼らの登場は無意味なものではなく、宮廷人としての役割をもって登場している。 
やがて、電動車椅子に乗って王リチャードが登場してくる。 
ゴールド・シアターの高齢者たちの車椅子は手動式で、王だけが電動式車椅子で、その違いが王と一般の貴族たちの区別とともに玉座の表象ともなっている。 
ここまで観てきて、この衝撃的な軽やかな驚きで完全に舞台のとりことなってしまう。 
ダンスということについては、追放されるボリングブルックに王リチャードは彼の唇に指で触れ、そのまま二人は沈黙のままダンスを踊る場面と、後半部では、陰謀を企てたオマールを許したボリングブルックが、今度はオマールと踊る場面があり、意味深長である。 
舞台を観ながら、これらの刺激的なことの暗示的な意味を探ろうとして頭の中が一杯になってくる。 
キャスティングにおけるゴールド・シアターとネクスト・シアターの共演は、一世代の開きがある世代間ギャップがこの劇の登場人物の世代間ギャップを感じさせた。 
内田健司が演じるリチャード二世は、繊細でヒステリックな感じを出しているだけでなく、腰布一つの裸体姿となって受難のキリストを思わせるイメージを演じるところなどは、映画”The Hollow Crown”(『空ろな王冠』)でリチャードを演じたベン・ウィンショーを思い出させた。 
リチャードがボリングブルックに王位を譲って王冠を手渡す時、渡さず下に払い落としてしまうが、王冠は釣り糸で操られていて、やがてその王冠は、空中を浮遊してボリングブルックの頭にのっかかる。 
舞台の締めくくりは、冒頭部と同じく、車椅子の高齢者たちとそれに付き添う若者たちの園遊会でのダンスとなって、螺旋的円環構造の舞台を感じさせた。 
刺激的な舞台で、観劇後その反芻でしばらく頭の中が混とんとして整理がつかなかった。 
上演時間は、途中休憩15分間はさんで3時間10分。

 

(翻訳/松岡和子、演出/蜷川幸雄、演出補/井上尊晶、
4月14日(火)昼の部、 彩の国さいたま劇場インサイド・シアターにて観劇。
チケット:4,000円、全席自由席)

 

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