シェイクスピアの『リチャード三世』との関係からするとほぼ無関係といってもよいストーリーで、その意味では期待を裏切られた感がしないでもない。
リチャードが「ゲイ」であるのはタイトルの語呂合わせからも想定内だが、彼はここではむしろ脇役で清掃員の田口という若い青年が主人公であり、ストーリーとしても直接的にはシェイクスピアの作品とは無関係であるが、キーワード的には3つの関連性があるともいえる。
せむしの鯨カツ屋の主人「リチャード」、そこを訪れる田口が恋心を抱いている彼の上司である江戸川の妹庵(イオリ)=「アン」(田口は音読みでアンと呼ぶ)、そして"ブロザック"という名の「馬」がそれである。
ストーリーが錯綜して本筋を読み取りにくいが想像力で補って話の展開をまとめると、庵はブロザックという薬中毒患者で、彼女は田口にそれを手に入れることを頼むがその口実として、かつて兄にディズニーランドで買ってもらった紫色の姫の城に入るために"ブロザック"という名の馬を手に入れて欲しいと頼む。
その目印は「彗星」。田口は新宿駅ホームに立つ女エリの靴底にそれを見出す。
靴の中に隠されていたのは錠剤"ブロザック"。それを口にした田口は幻想と現実が錯綜し、新宿西口のションベン横丁にあるリチャードの鯨カツ屋に紛れ込む。
鯨カツ屋は地上げ屋に立ち退きを強制され廃業寸前であるが脅しにも屈せず頑張っていたが、ついに強制的に店を閉じられてしまう。
薬中毒の庵は、高尾の精神病院に送られようとしており、彼女は田口に中央線の駅のホームに「城」が見えるように置いてほしいと頼むが、リチャードが田口に代わってそれをするために出かけ、田口は廃屋にされた店に残る。そこに馬の「五体」が現れ、続いて錠剤"ブロザック"を隠していたエリの片方の靴を盗んだ田口を追ってきた「色白の紳士」とエリの男によって、彼は鯨カツにされそうになる。
舞台は暗転して、現在の田口が新宿裏通りを歩いていると、白いドレス姿のリチャードが道端にうずくまっている。田口とリチャードが同時に互いの名を、「リチャード!」と呼び合って感動し、舞台奥のテントが開かれて、二人は夜の闇へと連れ立って消えていき、それを嬉しそうに馬の五体が跳ね回って見送る。
この最後のテントが開かれる場面はテント小屋公演の常套的なものであるが、それでも妙に感動的な気分にさせられるから不思議だ。
ストーリーをこのようにたどってみても舞台の臨場感は伝わらないが、ただ、かつてのテント小屋公演のような強い熱気と活力を感じなかったのは、革新も変革も一世代が過ぎると時代と共に普通のものとなるというだけでなく、観客層自体の変化がない事にも起因しているのではないかと思った。
ともあれ、シェイクスピアがこのような形に再創造されることの楽しみを味合わせてくれた。
上演時間は、途中休憩10分間をはさんで1時間40分足らずであった。
前から2列目の中央部の桟敷で、舞台を見上げる形で観劇。
(この日は、朝から冷たい雨が降り続けていたが、観劇の時間には幸い雨も上がっていた)
作/唐十郎、演出/久保井研+唐十郎
11月2日(月)19時開演、雑司ヶ谷・鬼子母神、チケット:3500円
|