高木登 観劇日記2014年 トップページへ
 
  KUNIO11 『ハムレット』      No. 2014-27
 

まず目に入るのが、その傾斜による不安定さによって不安感を感じさせる開帳場(俗に言う「八百屋」)の舞台、そして、その頭上に掲げられているTHEATERの文字の看板(ネオンサイン)。
ハムレット王の亡霊が現われる夜警の場面のマーセラス、バナード、ホレイショの台詞は、感情移入のない作為的な様式化された口調で語られるが、ややもするとその人工的な台詞口調に距離を感じて、退屈になることがある。
途中、台詞の省略や内容の違いに新奇な演出かとも思ったりしたが、この台本がQ1(クォート)版に基づくものであったことを確認して、その違いに納得する。 
台詞の順序の入れ替えなどは演出によってときどき遭遇するが、Q1による上演というのは珍しく、新鮮な感じがした(これまでにQ1を台本にした上演は、1983年に演劇集団円によって、安西徹雄訳で『ハムレットQ1』があるだけだと思う)。
今回、そのQ1による上演のため、演出家杉山邦生の要望で、桑山智成によって新たに翻訳されており、翻訳自体にもこれまでとの翻訳との違いなどに関心が湧いてくる。 
気鋭の、という形容詞をつけるまでには感じないが、それでも若い演出家としての斬新さ−それは必ずしもすべてを肯定的に受け入れられるものではなかったが−というのは諸所に現われていた。
そのマイナスに感じた一つとして、亡霊の登場など、役者の出入りに用いられる金属音的なブザーの音が、感情をかき乱すノイズとして不快に感じざるを得なかった。
勿論それはそのよう効果を狙った意図的なものであろうが、個人的には不快感の方が強かった。
舞台頭上に掲げられたTHEATERの看板は、途中の場と最後の場面の二度ほど、舞台上まで降ろされる。 
特に、最後の場面では、死んで看板の元に横たわっているハムレットに、フォーティンブラスが手にしていた軍旗をTHEATERの看板の上から彼を覆うようにしてかけて立ち去るが、そのあと看板はゆっくりと再び頭上高く掲げられていく。その反動では旗はハムレットの全身を覆うようにかぶさり、白く輝く看板が、ハムレットの昇天を表象するかのような輝かしさを感じさせるという効果を感じさせる。
THEATERの看板はネオンサインになっていて、通常は真っ白な色であるが、場面によって血の色の赤になったり、青や緑などの美しい蛍光色に輝いたりして表象的な役割をする。
THEATERという看板自体が、『ハムレット』の劇中劇ではないが、世界は劇場ということをも象徴化している。
これまでに『ハムレット』は翻案物も含めて50回以上観てきているが、Q1というテキストで一貫して上演されるのを観るのは初めてで、それだけにこれまでとの違いに新鮮さを感じるところが多かった。
特に、ハムレットがイギリス行きの船から帰ってきたことをホレイショがガートルードに報告するくだりなどは、当初Q1のテキストによる上演だということに気づかず、新しい演出かと思ってしまった(Q1はかつて原文で読んだことがあるが、すっかり内容を忘れていた)。
ハムレットを演じたのは京都造形芸術大学の現役の学生である木之瀬雅貴。憂鬱のハムレットを装うなどという妙に気負ったところもなく、質朴さと現代の若者らしくカラッとストレートに演じているところが好ましい。
「時空劇場」出身の内田淳子が演じるガートルードは、松田正隆の作品に観るような静謐な演技で、じんわりとした印象が後に残る。印象としてはオフィーリアを演じてもよかったと思える女優さんである。
箱田暁史と岡野康弘が演じたローゼンクランツとギルデンスターンは、その掛け合いが漫才コンビのような面白さを楽しませてくれた。 
クローディアスとハムレット王の亡霊を演じた文学座の鍛治直人は、存在感を強く感じさせた。
ポローニアスは「空間再生事業 劇団GIGA」主宰する菊沢将憲、オフィーリアには「範宙遊泳」所属の熊川ふみ。
そのほか総勢で14名の演技陣。 
この企画は、あうるすぽっと(「シェイクスピア フェスティバル 2014」)、京都芸術センター、穂の国とよはし芸術劇場、札幌市教育文化会館の4館の共同による上演。 
上演時間は、途中休憩もなく2時間40分、途中さすがに観ていて疲れを感じた。

 

(翻訳/桑山智成、演出・美術/杉原邦生、8月2日(土)13時開演の部、
チケット:3500円、座席:F列9番)

 

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