高木登 観劇日記2014年 トップページへ
 
     日英シェイクスピア祭(春)2014      No. 2014-15
 

1時半の開演時間5分前に、プロローグ、清水英之のシェイクスピア・ソングで春の日英シェイクスピア祭開演。
『シンベリン』の弔いの場面の歌や、本日の演目の一つにもなっている『ヴェニスの商人』の中の箱選びのシーンの唄などを心和やかに聞き入った。
第一部「日本の『ヴェニスの商人』」は、YSG座長の瀬沼達也によるシャイロックの原文朗読に始まり、続いて前島幹雄の「関西弁シャイロック」、そしてTSCの江戸馨とつかさまりによる『ポーシャの庭』の朗読。
原文朗読に続く日本語訳による朗読は同じ場面を朗読するのがこれまでの姿であったが、原文で朗読された箇所と同じ場面とはいいながら今回の前島幹雄のそれはこれまでとは大幅に異なるもので、原作のシャイロックに当たる部分は3分の1にも満たず、あとは前島イズムの思想・信条を吐露するシャイロックであった。
シェイクスピアのシャイロックは、ユダヤ人としての偏見、差別に対して鬱屈した不満を吐き出すが、シェイクスピアのそれには思想や信条の政治的な押しつけがましさはない(近代では、シャイロックに対して微妙な問題が絡んで上演もしにくくなっている面も事実であるが)のに対して、前島イズムのシャイロックは、思想的信条は多分に政治的なものを帯びているので聞く者にとって時に不快感を与える可能性の強いものであったと思う。
前島のシャイロックがぶちまける、そう、ぶちまけるという言葉がぴったりで、彼が抱く被害者意識が政治的な発言となって、差別された存在としてのシャイロック(時に日本)をして語らしめるものである。
「ヴェニス」を終始「ペニス」として発音していて、それは善意に解釈すればユダヤの割礼を表象するものとして解釈することもできるが(事実彼は割礼についての情景を生々しく語っていた)、一般的にとれば卑俗化、卑猥化、矮小化したものとして聞こえ、問題となるだろう。
日本国憲法がアメリカ独立宣言からくる押しつけであり、第9条が旧約聖書の「ノアの方舟」によるものだという見解や、イスラエルの歴史的背景などについては、その該博な知識に驚きを感じさせるものがある。
しかしながら、来日したオバマ大統領に対する人種的偏見の発言などはその場にふさわしいものとはいえない。
前島のシャイロックの一人芝居(台本なしであって、朗読とは異なる)は、これを単独の舞台としてみればその政治的信条に対する賛否は別にして面白いものであったが、この場においては不調和なのもであったように思われる。
瀬沼の原文朗読の迫力がすばらしかっただけに、それに対応する前島の関西弁シェイクスピアとの競演を味わいたかった。
10分間の休憩の後、江戸馨とつかさまりによる『ポーシャの庭』の朗読。
今年1月に原作の『ヴェニスの商人』とこの『ポーシャの庭』が同時上演され、その時の記憶が鮮明に残っていただけに、その時十分つかめていなかったことなど改めて反芻することができ、この作品をさらに深く理解するのにおおいに参考になった。
第二部の朗読劇『リチャード三世』(坪内逍遥訳、朗読台本・荒井良雄)は、迫力満点で見応え、聴き応えのあるものであった。冒頭部のリチャードの独白、それに続くアンへの求婚の場面などは特に圧巻であった。
女鹿伸樹のリチャード、倉橋秀美のアン、蕗英治のクラレンス、久野壱弘のリッチモンド、それに菊池真之と石井麻衣子が亡霊役で出演。

 

(主催/日英シェイクスピア祭実行委員会・新地球座、4月26日(土)自由が丘・悠STAGEにて)

 

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