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  文学座研修科発表会 『終わりよければすべてよし』         No. 2014-042

 自分の記憶ほど当てにならないものはないとつくづく思わされた。 というのは、この『終わりよければすべてよし』を国内の上演で観たことがないと思い込んでいたのが、観劇後に偶然お会いしたTSCの江戸馨さんに劇団AUNで上演されたことを伺って、帰宅後観劇日記を確認すると、2006年にその公演を観ていて記録も残していた。この年には板橋演劇センターもこの作品を上演していたが、そちらは残念ながら観ていない。 
 国内で唯一観劇したことを失念していた原因の一つは、2009年に英国観劇ツァーで観たマリアンヌ・エリオット演出の印象が強く残っていたせいもあって、ほかの記憶が飛んでしまっていた。 
 いずれにしてもこの作品の国内での上演は非常に珍しいこともあって楽しみにしていた。 
 客席が四方を囲む舞台の片側には1メールトル四方ほどの台座があって、その中央部に白と灰色が交互に彩られた1本のポールが立てられているだけで、その他には何もないシンプルな舞台。 ほとんど何もない空間では、台詞が一番の見どころ、聴きどころとなって、またそれを十分に楽しませてもくれた。
 台詞を中心に聞いていると、色々なことが連想されてきて興味が増すのだった。 
 劇の冒頭部でラフュー卿が悲しんでいるヘレナに対して「適度の悲しみは死者に対する当然の義務ですが、過度の嘆きは生きているものにたいする敵となりましょう」と言ったとき、『ハムレット』でガートルードがハムレットに対して言う台詞をすぐさま思い出した。 
 不実なバートラムについては、初期喜劇の『ヴェローナの二紳士』のプローテュースがすぐに思い浮かんでくるが、印象に残った演技は、ヘレナの小山真由、ペーローレスの鈴木大倫などだが、研修生の舞台とあって、みな若々しく溌剌とした演技で観ていて気持がよかった。 
 何よりもシェイクスピアのポピュラーな作品でないこのような地味な作品を十二分に楽しませてくれたことを大いに評価したい。 
 上演時間は途中10分の休憩をはさんで2時間40分。


訳/小田島雄志、演出/高瀬久男
11月2日(日)14時開演、 Bキャスト出演の部、文学座アトリエ

 

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