高木登 観劇日記2014年 トップページへ
 
  『シーザーの戦略的な孤独』      No. 2014-03
 

吉祥寺シアター2013年度シェイクスピア・シリーズの一環としてのミクニヤナイハラプロジェクトによる公演で、作者いわく、「いうまでもなく『ジュリアス・シーザー』を題材にした作品です」と挨拶文にあるが、内容的にはシェイクスピアとまったく無関係としか言いようがない。また、タイトルとの関連性もまったくない。
もっとも、作者のその先の言葉を続けると、モティーフとして「ブルータス、お前もか」の「も」についてのみ書いたということで、このシーザーが言った「も」には絶望の念が込められているが、作者としては言葉と身体のつながりのなかで、希望の「も」を見つけ出したいと思っていると述べている。
舞台上には、スチール製の机が下手、中央、上手へと対角線上に3つ、舞台中央部には矩形の窓枠、上手後方には4畳ほどの大きさのスクリーンがある無機質で抽象的な舞台装置。登場するのは、現代の若い男女、3人。
二人の男女が交互に、上手の机の上にある手のひらより少し大きいスチールを1枚ずつ取り出しては運び、途中、窓枠にかざしてスチールに書かれている文字を確認し、下手の机に置くという単純作業を繰り返しながら、互いに自己中心的な話をして対話を交わしている。
男は、時おり、窓枠から空を見つめては宇宙へ行くことを夢想している。
一方では、リュックを背負った少年のような男が、床を匍匐前進しながら無言のままあちこち移動している。
男と女がしている作業は、どうも危険なものを取り扱っているかのようで、彼らの置かれている状況は、作者がいうところの絶望的状況を表象しているともいえる。
男は、分裂症的で二重人格で、匍匐前進していた男の幼友達であるが、時に影の人物に変化する。
影の人物に変じたときの男は、凶暴化し、幼友達と女を激しく突き飛ばすことを繰り返す。
その影の人物を表象化するのは、スクリーンに映し出されるシルエットの人物で、シルエットの男は、たえずヌンチャクのようなものを手にして振り回している。
スクリーンにはシルエットの男のほかに、ロールシャッハのような模様も映し出されて精神分析の様相も帯びる。
舞台では、「劇画的にデフォルメされた自己中心的なキャラクター」たちが、激しい動きと、噛み合うことのない言葉でつつき合っているだけで、見終えた後、頭の中にはノイズが渦巻いて不快感だけが残った。
シェイクスピア劇やその関連劇を追っていると、たまにこんな外れがある。
別にシェイクスピア劇でなかったから外れというわけではない。
上得時間は、70分。長いような短いような。

 

(作・演出/矢内原美邦、2月1日(土)昼、吉祥寺シアター、最前列中央部で観劇。
チケット:2500円)

 

 

>> 目次へ