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  オックスフォード大学演劇協会来日公演 『十二夜』         No. 2014-028

 オックスフォード大学演劇協会(OUDS)の演技レベルは高く、これまで楽しんで観てきたが、今回は少し様子が変わって、珍しく不満の方が大きかった。
奇を衒い過ぎ、自分にとっての感想としては、本来の面白さを損なっているようで、もっと素直な演出の方がすっきりして良かったのではないかと思う。 
 言葉のやりとりの面白さを感じてしかるべき場面で、その面白さを出す台詞が省かれていたり、兄妹の再会の場面の感動もなく、全体的に不満の残る演出であった。 
 一番の不満は、登場人物の人物造形がしっかりできていない、というか変にデフォルメされ過ぎていたり、意味を感じさせない二役(道化フェステとアントーニオ)などがあった。 
 オーシーノに仕える紳士、キューリオとヴァレンタインは真っ白な衣裳に包まれた女性が演じ、美しい声で歌を歌うが、この二人が同じ衣裳のままでアントーニオを逮捕する警吏の役も兼ねているのは意味もなく不自然であった。 
 道化フェステはなぜか足に鎖をつながれ、奴隷的な存在に扱われ、オーシーノ公爵邸では、セクシー丸出しのマライアに、轡をかまされて犬のような状態で引き連れて来られ、公爵の前で、マライアとダンスをしながら歌を歌う。 
 オリヴィアの邸の居候(?)であるフェビアンの存在は原作においても不思議な存在だが、ここではどうもオリヴィアの家付きチャペルの牧師のようでもあり、ガウンのような白い衣裳を着ており、実際にセバスチャンとオリヴィアの結婚の式に立ち会う牧師を務める。 
 マルヴォーリオも本来の面白さより観客席の笑いを取ろうとする気の方が強く感じられ、残念な気がした。 
 閉じ込められた場所から解放されて一同の前に出てきたときは、大方の演出と異なり、執事としての正装姿に戻って、自分に加えられた仕打ちがいたずらであったことが明らかにされると復讐の言葉の捨て台詞を残していく場面は、淡白にやり過ごされてしまって物足りなかった。 
 ヴァイオラとセバスチャンの再会、そして公爵とヴァイオラ、オリヴィアとセバスチャン、マライアとサー・トービーの3組の結婚でハッピーエンドの大円団で一同ダンスの輪となるが、その中で後ろ手を縛られたままのアントーニオだけが暗い表情で一人取り残されている。 
 全員退場した後、彼は縄を解き、アントーニオとしての衣裳を脱ぎ捨てフェステの役に戻り、「雨の唄」を陰鬱に低くこもった声で歌うが、その声が内にこもり過ぎていて歌詞が不鮮明にしか聞こえなかったのも不満であった。 
 二番目の不満としては、バラバラの衣裳―どんなコンセプトを持ってそれぞれの人物の衣裳を選んだのか、人物造形に絡むだけに不思議な気がしてならなかった。 
 冒頭の場面では、嵐の後ヴァイオラがイリリアの海岸に打ち上げられ、彼女は全身白いシーツに包まれた状態で横たわっており、船長がそのシーツを剥ぎとって、二人は足早にそこを走り去ったところで、オーシーノ公爵邸の場面に変わるが、この手の演出も目新しくはない。 
 オーシーノがヴァイオラと会話を交わす場面では、オーシーノは入浴中という設定に演出しているが、これなどもときどき観られる演出で二番煎じの感じが強い。 
 台詞力の面では、ヴァイオラの存在感も薄くしか感じられず、不満が残った。 
 登場人物の中で自分にとって一番印象に残ったのが破天荒にセクシーな容姿で登場するマライアであった、というのもこの演出を象徴するかのようで、皮肉であった。 
 不満、失望感が強いのは、それだけOUDSの公演に期待し楽しむところが多いのだが、今回あえて否定的な感想を述べたのは、期待に対する反動の気持の表明でもある。
 観劇日記の記録をたどると、演出のマックス・ギルは一昨年(2012年)の来日公演『から騒ぎ』でも演出していた。

 

演出/マックス・ギル
8月3日(日)14時開演、東京芸術劇場・シアターイースト、チケット:2500円、座席:E列12番

 

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