高木登 観劇日記2013年 トップページへ
 
  ITCL来日公演 『じゃじゃ馬ならし』      No. 2013-020
 

TCLの公演を初めて観たのが2006年で、その時の演目がこの『じゃじゃ馬ならし』であった。

幸い観劇日記にこの時のことを書きつけていたので比較することができたが、主要な筋立てやその演出方法、コンセプトは全く変わっていなかった。

客電が落ちる前の舞台上では数名が酒場で会話を楽しんでおり、鋳掛屋スライが客席から登場してくるのも変わっていない。

ただ前回スライが背中にベッカムの名前の付いたTシャツを着ていたのが違っていただけであった。

舞台上手には、額縁に顔を出した女性の姿も前回の時と同じである。その女性は、本筋が始まるとキャタリーナになるので、スライの夢との関連性をあとになった感じることになる。

スライがこの額縁の絵の女性を見てその絵の中に引きずり込まれて『じゃじゃ馬ならし』の夢を見、目を覚ましたところで、女房の馴らし方を覚えたのでじゃじゃ馬女房など恐くないといっている矢先に、がっしりとした体格の女房がやってきて彼を肩に担いで退場していく終わり方も同じであった。(観劇日記、2006−014参照)

コンセプトとしては、ペトルーキオは元来兵隊であり、戦争の経験もある荒くれた男で、女性を調教するのは彼にとっては兵士を訓練するのと変わりなく難しいことでもなんでもない。

彼が兵士であり、実戦の経験があることは舞台上でも寸劇的にトルコ軍との海戦の場面が演じられることで観客に知らしめられる。

いつものようにわずか6人の俳優で数名の役を演じられるので登場しない人物も出てくるが、その辺のところも不自然でなく演じられる。

たとえば、パデユアに到着したばかりの時のルーセンショーとトラーニオの二人の場面では、トラーニオは登場しない。

今回特に気がついた点では、(前回の日記には記していないので違いは確認できないが)、そのルーセンショーの服装や帽子がルネッサンスの絵から抜け出てきたような感じであったということと、ビアンカが最初からしたたかな女性として振舞っていることであった。

世間一般によくあることだが、甘やかされて育った末の子は要領よくなり、上の子はその為に欲求不満が重なってひねくれ、その反動が出てくるというパターンである。

ビアンカは父親の前ではしおらしく、姉のキャタリーナにいじめられているような姿を見せるが、親の見ていない場面では姉に対して反抗的な姿勢をかなり強く示している。

こんな妹、実際にいる、いると納得できる。

英語圏以外の海外公演を続けているせいもあるのか、英語の発音も聞き取りやすく、劇全体も非常に分かりやすくなっている。しかも基本的なところではシェイクスピアに非常に忠実な舞台でもある。楽しさも抜群!!

バプティスタや未亡人などを演じたリチャード・クロドフェルターのみが7年前と同じ役で登場。彼はITCLの来日公演を見始めてからは結構常連として来日しているので、安心感とともに親しみを覚える。

ペトルーキオは、昨年の来日公演で『マクベス』のマクダフを演じたアラン・ミレンが好演。

ホーテンショーにはアンドルー・ゴダード、ルーセンショーにジョージ・マクリーン、キャタリーナにスティシー・デボンポート、ビアンカにミリアム・スウェインズベリーが演じた。

上演時間は、途中20分の休憩を挟んで2時間20分。

 

(演出/ポール・ステッビングス、5月25日(土)、学習院女子大学・やわらぎホールにて観劇)

 

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