高木登 観劇日記2013年 トップページへ
 
  柿喰う客公演 『発情ジュリアス・シーザー』      No. 2013-008
 

−女体シェイクスピア劇第3弾−

のっけからのけぞりたくなるような台詞回しと演技で、この劇をまともに最後まで観る気になれなかったが何とか最後まで観た。

このことは昨年観た『絶頂マクベス』で予想していたことであるが、一度だけで決めつけるにはいかないだろうと思って今回再度チャレンジして観ることにしたが、結果的にはやはり自分としてはこの劇団のシェイクスピアにはついていけなかった。

シェイクスピア劇で、このようにあらねばならぬというような先入観など一切持っていないつもりであるが、ついていける劇とそうでない劇があるものだ。

前回観た時もそうであったが、虫酸が走るような言葉遣いの台詞に非常に抵抗感を感じ、我慢が出来なくなる。

今回の『シーザー』では、シーザー側の登場人物は金モールのついた近衛兵のような衣裳の洋装に対し、シーザーを倒すブルータスやキャスカなどの一味は袴姿の和装で、その言葉遣いはヤクザ言葉である。いうなればヤクザの出入りと変わらない。しかしながらそのヤクザ言葉も板に付いた感じがせず、むずがゆい思いがした。

ブルータスの妻ポーシャ―もヤクザの妻の姐御のような言葉遣いで場面の雰囲気がぶち壊しである。

前回の『マクベス』からみて、タイトルのイメージからエロティックなシーザー像を当初抱いていたのだが、タイトルの「発情」と「シーザー」とが劇中では直結せず、反面的な期待のズレが生じた。

自分なりの解釈を下せば、シーザーの存在が「情」を発せさせ、人々をして反逆を起こさしめ、また彼の死を通して憤怒を起こさしめるということにおいて「発情」と読めるのではないかと思った。

観客層を見渡しても特定の世代に支持されているという感じでもないところをみると、それなりに評価し、楽しんでいる観客(あるいはファン)がいるのかなとは思われるのだが、自分とは遠い存在だと感じざるを得ない。

次の公演の予告タイトルを見ると、『失禁リア王』となっており、タイトルから見てもリア王を茶化している感じである。

二度までは我慢して観たが、三度目を観ることはないと思う。

上得時間は休憩なしで90分。

 

(脚色・演出/中屋敷法仁、2月23日(土)昼、青山円形劇場にてBブロック25番で観劇。
チケット:シニア3800円、)

 

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