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  秋の日英シェイクスピア祭 2013                  No. 2013-035

― 『ハムレット』、『エレン・テリーの講演』などの朗読劇 ―

 11月10日(日)、荒井良雄監修による秋のシェイクスピア文化祭が、自由が丘の小さな演劇空間「SATAGE悠」で催された。天気予報では午後から雨の予報であったが、幸いなことに雨にたたられることはなかった。
 今回は三部構成で、第一部が『シェイクスピア名セリフ集』(朝日出版刊)より、名セリフ、ソネット集、シェイクスピア・ソングからなる「シェイクスピア・リサイタル」、第二部は、荒井良雄による本邦初訳朗読台本によるエレン・テリーのシェイクスピア講演の朗読劇「シェイクスピア劇の中の書簡」、第三部は、坪内逍遥訳、荒井良雄朗読台本による朗読劇『ハムレット』。
 荒井先生によって各部の冒頭で、そのコンセプトについて語られ、第一部は、日英両国語による朗読はどこにもない試みで、「国際」ということをテーマにして語られた。第二部は「朗読」について、第三部が「翻訳」ということについて語り、逍遥訳を古臭いという者がいるが、そうではなく、漱石や鴎外と同じような意味における立派な古典であるということについて言及された。
 第一部は、清水英之、水谷利美によるシェイクスピア・ソングで始まり、和やかな雰囲気に包まれた後、名セリフ集の朗読、ソネット集の朗読が多数の出演者によって順次なされた。
 出演者は、YSG座長の瀬沼達也、イギリスで10年間演劇を学び、日本で英語によるシェイクスピア朗読劇を続けているS・サトウ、山茶花クラブ、日英朗読塾、ピラミッド文藝朗読会のメンバーの人たちなどに加え、日本に短期ホームスティで滞在しているアメリカ人の女性Janet Leiwsの参加があり、国際色に彩りを添えた。
 第二部は、シェイクスピア劇の女優として最高と言われる中の一人、エレン・テリーの講演を朗読劇にしたものであるが、役者としての観点からの講演で、学者の学問とは異なる新鮮な関心を呼び覚ましてくれた。
 その講演の中で、シェイクスピアは誰かという作者論議が盛んになされているが、もしもシェイクスピアが一枚の手紙でも残してくれていたらそんな論議もなかったであろうが、残念ながら一通も残されていないという話を枕にして、その代わりにシェイクスピアはその作品の中で沢山の手紙を残してくれており、そのことをテーマにして何か語ることもできるのではないかとエレン・テリーがシェイクスピア学者に相談すると一笑に付されたという。
 そこでシェイクスピアの作品中の手紙を数え上げてみたら34篇(数については聞き間違いがあるかもしれない)あったと言い、その手紙を元にしてシェイクスピアの作品について講演で語るのであるが、その内容がとても新鮮な解釈を感じさせ、今後シェイクスピアを読んでいく上での有用なヒントにもなり、非常に参考になった。
 エレン・テリーの講演を森秋子、作品中の書簡を円道一弥と倉橋秀美が朗読。
 第三部は、ハムレット(蔀英治)、ガートルード(北村青子)、オフィーリア(白井真木)、ハムレットの父の亡霊(久野壱弘)の四人の登場人物だけで、『ハムレット』全篇の内容を演じきる試みである。
 四人の朗読の声が音楽のような調和を醸し出し、エヴァ・ケストナー(若い美貌の女性)による太鼓演奏が朗読劇の緊張感を効果的に高め、逍遥訳の清新さを味わいながらずっと聞き惚れて聴いた。
 その中でも圧巻であったのは、オフィーリアの狂乱の場面、坪内逍遥訳の台詞が、純白の衣裳の白井真木の狂乱の演技とマッチングしていて、これまでにない感動を感じ、逍遥訳の新鮮さを甦らせるものであった。
 そして、逍遥訳が現代に生きる立派な古典であるということを見事に証明してくれた。
 わずか1時間強の朗読劇であったが、『ハムレット』のエッセンスを余すところなく味わうことができた。
 三部にわたるシェイクスピア文化祭は、1時半に開演し終演が7時過ぎと長丁場であったが、どこにもないシェイクスピア劇を味わうことができ、あっという間に過ぎ去った至福の時間であった。

 

主催/日英シェイクスピア祭実行委員会、新地球座
協力/ヴィオロン文芸朗読会、山茶花クラブ、STAGE悠、ふらっとんTIMES
後援/早稲田大学坪内逍遥記念演劇博物館

 

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