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  クリストファー・マーロウ作 『エドワード二世』            No. 2013-033

 否定的な意味ではなく、面白いほどに馬鹿馬鹿しくカリカチュア化された人物造形の舞台であった。
 この物語の中心人物、エドワード二世とその寵臣ギャヴィストンはその典型である。
 開幕とともに登場するギャヴィストンの衣裳からして悪ふざけ的で、胸をはだけたシャツに白の縦縞模様が入った濃紺(黒?)のスーツは現代の服装で、彼がしゃべるしゃべり方も悪ふざけで嫌みを誘うのに十二分であった。
 一方、明るいブルーのスーツを着て、王の権威を示すのは頭の上の王冠だけで、彼を愛してやまない若いエドワード二世は、横長にぴんと張った長いカイゼル髭でいっそう漫画化された人物として描かれる。
 この王の振舞い、行動が常識を逸脱していて馬鹿馬鹿しさを超えているとしか言いようがなく、王とギャヴィストンによるハチャメチャで破天荒な行動で政治を仕切られたら家臣、貴族たちはたまったものではない。
 エドワードのギャヴィストンに対する異常なまでの愛に、父であるエドワード一世によってギャヴィストンはフランスに追放されるが、父の死によってギャヴィストンは早速エドワードによって呼び戻される。
 舞台はそのエドワードからの手紙を読んでいるギャヴィストンの登場から始まる。
 エドワードのギャヴィストンへの寵愛は目に余るものがあり、貴族たちの結集により議会の力で再びギャヴィストンは追放される。だが、王エドワードの愛を取り返そうと、王妃イザベラはモーティマーに計って貴族たちの賛同を得て、ギャヴィストンの追放が再び取り消される。
 王エドワードとギャヴィストンは懲りることなく同じ過ちを続け、王の弟ケント伯もついに愛想を尽かして対立する貴族たちの側につき、そうして立ち上がった貴族たちによってギャヴィストンは処刑される。
 しかし、王は次には若いスペンサーを寵愛するようになる。
 スペンサーの取り立ては原作では王の姪であるマーガレットの推挙によるものであるが、この舞台では女性がイザベラしか登場せず、スペンサーはギャヴィストンによって取り立てられる筋立てに代わっている。
 ギャヴィストンを殺された王は反撃に出て名門貴族たちと戦って勝利し、主だった貴族たちはみな処刑されてしまうが、モーティマーだけはロンドン塔送りとなって生き残る。
 ロンドン塔を脱出したモーティマーと、王妃イザベラ、王の弟ケント伯はエノーのサー・ジョンの援助を得てエドワード王に反撃を加え、敗れた王は寵臣のスペンサー、ボールドックと修道院に逃げ込むが、草刈り人の通報によりつかまり、スペンサーとボールドックは処刑され、王はキリングスワーク城に送られ、そこで退位を迫られ、イングランドの歴史の中でも王としてこれほど不名誉な死に方はない殺され方をする。
 王の暗殺者ライトボーンの真っ赤なスーツ姿にこの劇の喜劇的側面と悲劇性とが象徴的に感じられたのは、老齢の西本裕行が演じたせいもあるだろう。
 王の愛を得られなかった王妃イザベラはモーティマーの愛人となるが、幼い王の摂政となったモーティマーからその命を守るためという口実が、単なる口実であるのかどうか、疑問を残すところである。
 しかし、最後には、若い王は産みの母の頼みより殺された父の犯人の真偽を正すことを選び、モーティマーの首を剣先に掲げ、誓いの言葉で賢王エドワード三世としての片鱗を見せ、照明が彼を燦然と輝かせたあと、フェードアウトする。
 主な登場人物として、エドワード二世に柄本佑、ギャヴィストンに下総源太郎、ウォリック伯に原康義、ランカスター伯n大谷亮介、ペンブルック伯に木下浩之、老モーティマーに瑳川哲朗、スペンサーに谷田歩、ボールドックに長谷川志、紅一点の王妃イザベラに中村中、など多彩で豪華なキャスト。

 

原作/クリストファー・マーロウ、翻訳/河合祥一郎、演出/森新太郎
10月14日(月)13時開演、新国立劇場・小劇場
チケット:(シニア)4987円、座席:B3列2番、プログラム:800円

 

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