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  劇団四季創立60周年記念公演 正統派 『ハムレット』        No. 2013-013

 それ以上でもそれ以下でもない予想通りのもので、刺激的なものは何もなかった。
 チラシの「浅利慶太が冴え渡る これがシェイクスピア、これがハムレット。創立60周年記念に問う正統派の名舞台」というキャッチコピーが気恥ずかしい気がした。
 正統的とは何を以って言うかそれが疑問でもあるが、一般のイメージとしてのハムレット像をそのまま視覚化させているという点においてはその言葉は間違っていないだろう。
 演出の浅利慶太は、美しい発声、クリアな台詞を理想として俳優にそれを強いているが、俳優に十分な技量がない場合、登場人物の台詞が均質化され、人物の差別がつかなくなることがある。
 純粋培養のようにして作られた発声、作られた台詞回しが、登場人物の造形を均質化し、平均化してしまう。特に前半部においてはそれが目立って台詞が退屈そのものでしかなく、隣の女性は寝てしまっていたし、周りでは鼾も聞こえていたのは、あながち自分だけの印象とも言えないだろう。
 浅利慶太のシェイクスピア劇についてはこれまでの経験からも予想していたことであるので、そういう意味でも予想以下でもなく予想以上のものでもなかった。教科書的で啓蒙的なのだ。
 気になる点として、かなり大事だと思う台詞のカットが随所にあったことである。
 出演者は日替わりで変わっていると思われ、入口に「本日の出演者」の案内が表示されていて、僕が観た日のハムレットは田邊真也となっていた。
 いかにもハムレットらしいハムレットであったが、これもそれ以上でもなくそれ以下でもなかった。
 野村玲子が演じたオフィーリアの狂気の場面が均質的な演技の中で、逆説的に良い意味で印象に残るものであった。
 舞台美術は2001年1月の時のジョン・ベリーのものであり、舞台装置や登場人物の豊富さはさすが劇団四季と思わせるだけのスペクタクル的要素に満ちたものであった。
 シェイクスピア劇ということで、ある意味では義務的に観たとも言える。
 浅利慶太の『ハムレット』を観たのは2001年1月の下村尊則のハムレット以来となる。
 上演時間は途中20分の休憩を挟んで3時間10分。

 

訳/福田恆存、演出/浅利慶太
3月27日(水)18時30分開演、浜松町・自由劇場、チケット:5000円、座席:1階5列5番

 

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