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  アカデミック・シェイクスピア・カンパニー公演 
         二人で演じる 『シェイクスピア・アラカルト』      
No. 2013-011

 アカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)の公演を観ることが出来なくなって久しくなるが、この たびやっと、「シェイクスピア・アラカルト」という形で見ることが出来た。
 わずか一日だけの公演だが、3回実施され、僕は最初の午後2時の部を観た。
 古くからのファンがASCの公演を待ち望んでいたのが痛いほどよく分かったのは、耳にした人だけで二人の人が新幹線を乗り継いでやってきており、一人は静岡、もう一人は広島県の三次市からだった。
会場は喫茶室で、3,4メートル四方程度のごく狭い空間で、2時の部では十二、三名の観客。
演じるのは彩乃木崇之と日野聡子の二人。
気分を楽にするために、彩乃木崇之は前日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、日本対台湾の劇的な勝負で打たれてベンチに戻ってきたマー君こと田中投手の表情が役者そのものであった、という話から始める。
プロローグ的な導入として、『お気に召すまま』のジェイクィーズの「この世界はすべてこれ一つの舞台」に始まる人生の七段階の台詞から始め、続いてマクベス夫人がマクベスからの手紙を読むシーンから『マクベス』を演じる。マクベスとマクベス夫人がもつれあう激しい愛欲のシーンを演じ、二人は上半身裸となって、マクベスは夫人の乳房をまさぐる激越な行為を演じる。
狭い空間の中ではその行為が、限られた会員だけに許された秘密クラブの一室で交霊でも観るような思いに駆られるが、これは納得のいく演技(演出)でもあった。
夫の帰りを待ち望んでいた妻は、夫が帰ってくるだけでも心が燃える思いであるだろう。その上、夫はやがて王になるという吉報まで持って帰っている。夫人が激しい愛欲で夫を迎える気持は納得のいくものであり、日野聡子のマクベス夫人は実にリアルに感じられ、しかも大胆な演技であった。
「シェイクスピア・アラカルト」はいわばオムニバス形式で、シェイクスピアの作品を次々とつないで演じ、『じゃじゃ馬ならし』、『ペリクリーズ』、『ロミオとジュリエット』と続き、ここでいったん終わるが、アンコールという形式で『ハムレット』と『リチャード三世』が続けて演じられた。
アンコールでは観客からお好みの作品を出してもらい、それを演じるという形を取っていたが、『リア王』という希望が出ると次の機会にということになって、実際には『ハムレット』を演じることが決まっていたようなものだった。
『リチャード三世』は、彩乃木崇之が最も好きな作品の一つということで、有名な冒頭の独白シーンと、アンへの求愛に成功した後の台詞を演じて終わりとなった。
こ の日の彩乃木崇之の演技を観ていると、これまでに抑えてたまっていた「演じたい」という強い欲求がほとばしっているような演技であった。
日野聡子もそれに負けずに全身体当たりの演技で、演技への燃える思いが強く伝わってきた。
時間にしてわずか1時間20分程度であったが、中身の濃い上演(?)であった。
ASCの公演は第3回の『リア王』からずっと見続けてきているが、大胆奔放にして緻密なコンセプトの演出を楽しんできただけに本公演がかくも長くないというのはさびしい限りである。かつては本公演とあわせて、シェイクスピア一人芝居や、4人で演じるシェイクスピアなど斬新な企画でシェイクスピアを上演してきたこともある。
「アラカルト」という形式も悪くはないが、かつての一人で演じるシェイクスピアや、4人で演じるシェイクスピアと同じようにして、二人で演じるシェイクスピアを続けてみてはどうであろうか。その上で、はやくかつてのような本公演を見たいものだと思う。当日参加した人たちはみな同じ思いであろうと思う。


脚色・演出/中屋敷法仁
2月23日(土)14時開演、青山円形劇場、チケット:シニア3800円、座席:Bブロック25番

 

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