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  新宿梁山泊・第50回公演 『ロミオとジュリエット』        No. 2013-006

― 躍動する「愛」の悲劇 ―

 有名な割には意外と見る機会が少ない『ロミオとジュリエット』を、まったく予想もしていなかった新宿梁山泊が、シェイクスピア劇に初挑戦で上演。
 僕らの世代では何といってもゼフェレッリ監督の映画、レナード・ホワイティングのロミオとオリヴィア・ハッシーのジュリエットが印象的で懐かしく思い出されるが、時代とともにジュリエットのイメージも変わるものだということを強く感じさせられた。
 今回そのジュリエットを演じた傳田圭菜は、まったく現代的な、今時の若い女の子そのものであった。
 初々しい美しさというより、はじけるような、思ったことは直情的に突っ走る女の子で、躍動感を感じさせるジュリエットで、蜷川幸雄の『ロミオ』が疾走する愛であるとすれば、梁山泊のものは躍動的な愛の『ロミオ』であった。
 ロミオを演じる申大樹は、甘いマスクに鋭利なクールさを秘めていて、マキューシオとの機智合戦では舌鋒鋭く渡り合う二面性をうまく演じている。
 ロミオの相手をするマキューシオを演じた岡田伍一も、いい意味での猥雑さが印象に残る演技であった。
 プロローグの序詞役の台詞は、マキューシオやティーボルトなど劇中の登場人物男性五人がコーラスとして語り、舞台奥には白い花の花壇でローレンス神父が花を摘んでいる姿が見え、プロローグの台詞が終わって序詞役たちが引っ込むと、神父が舞台中央に登場し、物語の悲劇を予感させる言葉を残して退場する。
 舞台装置には可動式のいくつもの大きな角柱を使って、場面転換が素早く入れ替わり、テンポの速い展開をする。劇場は一般住宅のマンションの地下二階(マンションは斜面に立っている関係から、舞台奥に当たる場所は実はマンションの一階部分になる)という狭い空間ではあるが舞台の奥行きは深く、バルコニーシーンや、ジュリエットが眠る地下の霊廟の場所にも有効的に使用される。
 キャピュレット家での舞踏会の宴会の場面の後で劇団員の大貫誉の作曲になる劇中歌が挿入され、キャピュレット夫人(渡会久美子)、モンタギュー夫人(水嶋カンナ)、ロザライン(有栖川ソワレ)、乳母(三浦伸子)の四人によって歌われ、しばしの間耳を楽しませてくれた。
 特筆すべきなのは、宇野亜喜良の舞台美術が登場人物に劣らぬ重要な役割をなしているということである。
 可動式の大きな角柱の一面には、マリアとキリストの絵が描かれており、マリアは赤色、キリストは緑色で、舞台ではキャピュレット側の人物が赤い衣裳、モンタギュー側の衣裳が緑色になっており、両家の区別がはっきりと色分けされて象徴化されている。衣裳も宇野亜喜良。
 これまで新宿梁山泊の公演は幾度となく観てきたが、シェイクスピア劇は初めてということもあって登場人物のキャスティングの予想が出来なかったが、その中で唯一予想できたのが乳母役の三浦伸子。予想通りの活躍で楽しませてくれた。
 予想は出来なかったが、キャピュレット夫人の渡会久美子も実に適役であったと思う。
 梁山泊の役者はどちらかというと野性的で猥雑な臭いのする役者が多いが、その中にあってローレンス神父を演じたマシュー・クロスビーは気分を和ませる役柄であった。
 正直なところ、当初、新宿梁山泊のシェイクスピア劇には期待度よりはどんなものになるのかという気持の方が強かったが、予想を覆す素晴らしいシェイクスピア劇で、梁山泊の猥雑奔放さを失わず、しかもロミオとジュリエットにピュアなものを感じさせて胸にジーンとくるものがあり感動した。
 上演時間は、休憩なしで2時間10分。
 【観劇評】 ★★★★


訳/小田島雄志、演出/金守珍
2月16日(土)14時30分開演、芝居砦・満天星、チケット:3800円、全席自由

 

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