高木登 観劇日記2012年 トップページへ
 
  TSC公演 『長い長い夢のあとに―ヘンリー五世の青春―』      No. 2012-026
 

題名の「長い長い夢のあとに」は、『ヘンリー四世・第二部』の結末部、ヘンリー五世となったハルに対して群衆の中から彼に向って呼びかけるフォルスタッフに対し王が

「知らぬな、その方など。さ、後生なと祈るがよいぞ。

立派な白髪をして、道化、阿保の真似などみっともない!」

と言って彼を突き放した直後の台詞、

「そういえば長い間、そちごとき男の夢を見ていたような気がする。

いい齢をして牛飲馬食、なんとも罰当たりな老人の夢をな。

だが、覚めてみれば、考えるだけでも汚らわしい」(中野好夫訳)

から取られている。

この舞台はフォルスタッフとハルが高鼾で寝ている場面から始まり、ハルがフォルスタッフに向かって「おまえなど知らぬ」という場面で終わる構成になっているが、そこに「帽子の人々」というエピグラム(エピグラムの元々の意味は警句とか、碑文の意味であるが、ここでは諷刺のきいた寸劇とでもいう意味で使用されていると思う)をプロローグとして始め、劇の間にもエピグラムを挿入して物語の背後にある意味を諷刺的に演じる寸劇が演じられ、この歴史劇を知っている者にとって、面白さを二重に楽しませてくれる。

プロローグにおける帽子の人々のエピグラムは、ヘンリー四世が王位を奪った(?)いきさつを寓意的な寸劇にしている。

舞台下手から、上から下まで真っ白な服装した一団が何やら楽しそうな雰囲気で登場する。

叔父とその妻が手を組み合って仲睦まじく、にこやかに話しながら出てきて、そのあとに子供たちや取り巻きたちが続いて登場してくる。

叔父の片方の手には大事そうに帽子が握られており、子供たちが叔父さんはなぜ帽子をかぶらないのかと尋ねると、取り巻きの者たちも、そういえば叔父はいつも帽子を手に持ったままでかぶったことがないということで、みなが帽子をかぶらない理由を執拗に尋ね始める。

叔父はそこで仕方なく帽子をかぶって見せるが、皆はその姿を見て釈然としない。そこで子供たちの父親にかぶらさせてみるとそちらの方がよく似合うということになり、叔父が帽子をかぶらないのなら父に譲ったらと子供たちは言い出す。

叔父はこの帽子は先祖代々の大事なものだからやる訳にはいかないと言う。だが、子供たちの父親は叔父の家系の分家で、先祖を同じくし、分家ではあっても元をただせば父親が本家にもなると言うことで帽子を取り上げる。

このプロローグはリチャード二世とヘンリー四世となるヘンリー・ボーリングブルックとの関係を寓意的に描き出しているのが明らかである。

このプロローグのエピグラムの後、暗転して、舞台中央にエピグラムで「父」を演じた菅野久夫がヘンリー四世となって王の姿に衣裳を改め、舞台中央に登場し、下手にはフォルスタッフとハルが寝そべっているのが見える。

ヘンリー四世はリチャード二世から不当に奪った王冠の罪の意識に苛まれ苦悩する一方、放蕩三昧の皇太子ハルのことでも頭を悩ませている。その悩みの原因の一つのハルが、舞台傍らでフォルスタッフと高鼾で寝ている姿が観衆の目に入る演出が効果的である。

王のもとへエピグラムで叔父の妻を演じたつかさまりがウオリック伯として登場し、ボーリングブルックに王位を就かせるのに協力した「取り巻き」のノーサンバランドらの謀反の反乱を告げる。そのつかさまりの声色の変化が見事で聞いていて魅せられた。

王の退場した後、まずハルが目を覚まして起き上がる。

その後の展開は『ヘンリー四世・第一部』のハルとフォルスタッフの活躍(?)で、インタールードとして謀反の反乱の正当性を主張する帽子の人々の「取り巻き」たちが、帽子を奪った不当性を訴える挿入のエピグラムが入る。

かなやたけゆきの太鼓腹のフォルスタッフ、ハルの田山楽、ハリー・パーシー(緒方和也)の召使いフランシスと給仕・小僧やモーティマーの妻を演じた川久保州子など、個性的で多彩な演技者の演技が舞台を楽しませてくれる。

特に、川久保州子がモーティマーとの別れを悲しんでウェールズ語(?)で歌う歌がよかった。あの歌は本当にウェールズ語なのかしら?!と思って聞き入った。

エピグラムに登場する人物がみな全身真っ白な服装というのにも意味を感じるのだが、白という色は何色にも染めることが可能であるので、観客としてその意味を自由に想像してもよいのではないかと思う。

脚本の構成、出演者の演技、ともに堪能させてくれる舞台であった。

 

(脚本・演出/江戸馨、音楽/佐藤圭一、11月30日(金)昼、池袋・シアターグリーン、
全席自由席で、最前列中央の席にて観劇。前売り券:3800円)

 

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