4年ぶりの「鏡の向こうのシェイクスピア・シリーズ」の新作を大いに満喫した。東京シェイクスピア・カンパニー(TSC)の公演のなかでも、このシリーズは最も楽しみにしているものの中の一つである。
歴史に「もしも」はあり得ないが、物語には幸いそのことが可能であり、この劇は、その「もしも」の劇である。
「鏡の向こうのシェイクスピア・シリーズ」の面白さは、その「もしも」の視点をどこにおいて元の物語に続けるかというところにあり、今回の『無限遠点』は、その視点の面白さ、ミステリアスな展開と喜劇性を楽しむことができる傑作である。
『無限遠点』は『ロミオとジュリエット』の悲劇を反転し、「鏡の向こう」、すなわち反対側の世界=喜劇仕立の作品で、その結末からすれば喜劇というより、笑劇(ファルス)と呼ぶべきであろう。
それはこのタイトルの示す無限遠点が、一般の常識である平行線がどこまで行っても交わることがないのに、この無限遠点という考えを導入すれば、交わることのない平行線が交わるという不思議な空間に表象されるものでもあるだろう。我々はその不思議な空間、鏡の向こうに連れ去られる。
シェイクスピアの喜劇といえば、結婚という大円団で終わるのが相場だが、これはそういう意味では少し異なっており、苦味のある滑稽である。
さてその物語の展開であるが、神父ロレンスが悪魔と契約を交わすことによってロミオとジュリエットの二人は死なずに、今や二人の間にはかつてのジュリエットと同じ年ごろの娘、ロザラインがいる。
ロザラインという名はロミオの初恋の女性の名前であり、ここからしてすでに笑劇的な要素を含んでいる。
ロレンス神父は宣教のため東方の旅に出て長い歳月ヴェローナを留守にしていて、今その旅から戻ってロミオのモンタギュー家に来て逗留している。
モンタギュー家にはジュリエットの乳母がいまだ健在で、ここではリコリダと名乗っている(リコリダは『ペリクリーズ』のマリーナの乳母役の名でもある)。
ロレンス神父と契約を結んだ悪魔たちは、悪魔3がモンタギュー家の侍女として入り込み、悪魔1と2は疫病で全滅したキャピュレット家の遠戚としてキャピュレット家に入り込み、キャピュレットとその息子エドマンドとなってモンタギュー家に挨拶の訪問をする。
ロレンス神父の仮死状態にする薬から目が覚めたジュリエットは、躁鬱状態を繰り返すだけでなく、男性と見れば誰かれとなく媚を売って不義を重ね、現実のロミオとは冷たい結婚生活を送っている。
大公の親戚マルコがロザラインの求婚者で、ロミオはその婚約を進めようとするが、ロザラインはキャピュレットの息子のエドマンドに一目ぼれする。
ロザラインの母親ジュリエットもエドマンドに恋をし、はじめはロザラインとマルコとの結婚に反対していたのが、彼女が恋敵と分かると一変してマルコとの結婚を勧める。
ロザラインとジュリエットの両方に色目を使うエドマンドは『リア王』のエドマンドと同じ役目で、シェイクスピアを読んでいる者にはそこにまた諧謔性を見出すことになる。
『ロミオとジュリエット』の本筋を繰り返すように話しは展開していき、ロレンス神父は悪魔との約束であるかつてジュリエットに与えた仮死状態にする薬を調合し、ジュリエットに昔のように、再び渡すことになる。
ジュリエットが今回死んだ真似をするのは、エドマンドと結婚するために重婚を避けるためのものである。
一方、ロザラインもマルコとの結婚を避けるため神父に仮死状態にする薬を頼むが、こちらは神父の計らいでエドマンドとの恋が覚めるための秘薬を渡される。
ロミオはこれまでジュリエットの浮気に我慢に我慢を重ねてきたが、ロミオとの関係を守るためにかつて飲んだ薬を今度はエドマンドのために飲んだということで嫉妬の限界に達し、仮死状態のジュリエットを殺そうとするが殺しきれず、眼の覚めたジュリエットに自分を殺してくれるように頼む。この場面はリチャード三世のアンへの求婚の場面を彷彿させる所作を繰り返させる。
ジュリエットはこの場になって、中年太りで格好悪い現実のロミオを認知し、これまでの色情狂的躁鬱病から目覚め、はじめてロミオをロミオとして認める。
ロザラインも一夜が明けて薬の効果が顕れ、エドマンドへの恋の思いから目が覚める。
その朝、キャピュレットの家が火事で焼失してしまう。
こうして悪魔の企みは見事に水泡に帰してしまう。そこのところがこの劇の笑劇たるゆえんである。
『ロミオとジュリエット』を二重に楽しみながら、シェイクスピアのそのほかの作品をちょっぴり味あわせてもらえるという贅沢な作品で、期待以上に楽しむことができた舞台であった。
出演は、ロレンス神父に原田太仁、ロミオに紺野相龍、ジュリエットはつかさまり、ロザラインは工藤早希子、乳母リコリダに朝麻陽子、マルコを田坂和歳、悪魔1/キャピュレットを大久保洋太郎、悪魔2/エドマンドを大須賀隼人、悪魔3/侍女を川久保州子が演じた。それぞれが持ち味を生かした演技で十二分に楽しませてくれた。
作/奥泉光、演出/江戸馨、作曲・演奏/佐藤圭一
2月25日(土)14時開演、中野・テアトルBONBON、チケット:3800円
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