高木登 観劇日記2012年 トップページへ
 
  劇団AUN第19回公演 『十二夜』      No. 2012-001
 

毎年シェイクスピア劇を20本以上観て、しかも同じ作品を繰り返しこの十数年観てきているわけだが、その楽しみと期待は、新たな発見(あるいは再発見)や、驚き、感動があるから、いくら観ても飽きることはない。

今年初めてのシェイクスピア劇は、劇団AUNの『十二夜』。

昨年は年の初めに串田和美の潤色・演出による『十二夜』を、その潤色の面白さ、おかしさを楽しんで観ることができたが、今回のAUNでは小田島雄志訳による純正(?)シェイクスピアとしての面白さがあった。

AUNの『十二夜』の最初の驚きは、杉本政志がオーシーノー公爵を演じるのを見た時であった。

曲者、実力派ぞろいのAUNの中では比較的新参者である彼が、主役とは言わないまでも劇の中心人物の一人を演じていることに驚いたのだった。

彼についてはシェイクスピア・シアター時代から観ていて、その中では抜きんでた演技力と台詞力で、いつかは浮き上がった存在になるのではと思っていたが、案の定すぐに飛び出し、一時はASCの客演をしたりしていて、その後の行方を気にしていたら、AUNに潜り込んでいたのでほっとしたことを覚えている。

そういう意味では期待している俳優の一人であるが、AUNの中ではone of themでしかなかった彼が、昨年の公演『ヴェニスの商人』では、サリーリオを演じてその台詞力で存在感を出し、これからの活躍を期待していたところであっただけに、その躍進を素直に喜んだ。

そのオーシーノーの演技(台詞)であるが、劇場の広さ(といっても格別広くはないが)を配慮してか、恋の憂鬱に沈む内に向かっての台詞ではなく、外側に発散する、どちらかと言えば絶叫的な発声であったのにも最初は驚いた。しんみりと聞かせる台詞というより、台詞が演技であるという発声で、それはそれでの面白さを感じた。

キャスティングの意外性で登場した時にあっと驚いたのが、谷田歩がサー・アンドルー・エーギチュクを演じて登場してきた時である。その意外性もあって、彼の演じるエーギチュクを楽しませてもらった。

これらは俳優に対する個人的な驚きであったが、舞台としての最初の驚きは和式便器の登場であった。

下手よりの舞台奥に開き戸で仕切られた楽屋風の小部屋がある。

その小部屋は色々な場面でさまざまな人物の登場に使用され、部屋の様子も場面ごとに変化するのだが、最初にそこから登場するのは、船長とヴァイオラである。

背景には海と砂浜の風景が広がっている。

そこまではいいのだが、二人がそこから出てくると小部屋の全景が見え、何と部屋の中心に和式便器がある。

一瞬、えっと驚いたがその場面はすぐ切り替わるので?がついたままとなるが、次の場面でサー・トービーが二日酔いでその便器に向かって下呂を吐くシーンが出てくるので、その便器がその為であったのかと気付く。

この便器の用途といえばそれだけのためのものであるが、それはどういう場面にもそのまま登場するので、どうしても何らかの意味、象徴性を感じてしまう存在感がある。

そのことを裏付けるかのように、最後のシーンで道化のフェステが「ヘイ、ホウ」の唄を歌いながら、楽屋の小部屋の海辺に向かってゆっくりとスローモーション的に退場していく時、その便器にスポットライトが集中して圧倒的な存在感を浮き上がらせる。

そこに僕はそこはかとない諧謔的な面白さというものを感じた。

それは俳諧的な諧謔性とでもいうべき多重性の意味を感じさせるものであった。

笑いということについて言えば、吉田鋼太郎が演じるマルヴォーリオの演技には、多くの女性観客が笑って喜んでいたが、その演技にはサービス精神旺盛を感じても、僕の感じる笑いとは質が異なるので、個人的にはその笑いに同調できなかった。

マルヴォーリオがマライアの偽手紙で、オリヴィアが自分を恋していると狂喜する場面で、サー・トービー、フェステ、フェービアンの三人が騎馬を組んでマルヴォーリオがそれに乗って退場していくところで笑いの絶頂を迎える。

楽屋から登場してくるオリヴィアの召使のフェービアンは、ミリタリールックで銃を持っている。

これなどは「遊び」の余裕を感じさせ、北島善紀はフェービアンの役を遊んで楽しんでいるようであった。

今回のAUNの『十二夜』は笑い八分に感動二分といったところで、笑いが中心にあったように思うが、セバスチャンとヴァイオラの再会の場面は感動的である。この場面が優れている時には、僕はいつも涙がそこまで溢れてくる状態になるのだが、今回も胸が詰まってウルウルした状態になった。

二人がお互いを見詰め合い、二人の感情の波動がこちらまで伝わってくる長い沈黙状態が弾ける瞬間、その感動が頂点を迎え、涙がこみ上げてくる。

この瞬間の感動の喜びを味わうことができる時、僕はこの劇に満足点を与えている。

演技陣についていえば、安寿ミラのヴァイオラが、公爵に仕える小姓としてのシザーリオを演じる男役は、元宝塚男役スターであっただけに板についていて、見事な演技というほかなかった。

サー・トービー・ベルチの横田栄司については、あらためて語るまでもないだろう(いまさら誉めても言葉不足でしかない)。

劇団AUNの豊富な人材で、一部を除いてA、Bとダブルキャストで、僕が見たのはBキャストの方であった。

根岸つかさの演じるオリヴィアは、おきゃんでお茶目な感じで、キュートであった。Aキャストの林蘭と比較して見たらどうだったろうかと興味深い。

マライアを演じる千賀由紀子もうまい。

松本こうせいの道化のフェステは、按摩がかけるような丸い黒メガネをかけて表情を見せないが、『お気に召すまま』の皮肉屋のジェークィーズのようなシニカルさを感じた。

Bキャストではセバスチャンは中井出健が演じており、これも好演であったが、Aでは女優陣の沢海陽子が演じることになっており、そのほかのキャストを見ていても、A、B両方のキャストで観たくなる布陣である。

 

上演時間は、途中15分の休憩を挟んで3時間。

座席はLの5番で、最後から2番目という後部席であった。

 

(訳/小田島雄志、演出/吉田鋼太郎、1月21日(土)昼の部、赤坂RED/THEATERにて観劇)

 

>> 目次へ