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  彩の国さいたま芸術劇場 『アントニーとクレオパトラ』       No. 2011-025
 

ラムは『リア王』を上演できない戯曲だといったが、『アントニーとクレオパトラ』も舞台化するのが困難な作品の一つではないかと思う。

演出の蜷川幸雄は『ペリクリーズ』と『アントニーとクレオパトラ』は読んでも面白くない戯曲だと語っているが、『アントニーとクレオパトラ』を、原文で読んだことのある僕には、その詩的な文章に魅了される作品だと思う。

だが、面白いことには、蜷川幸雄が読んで面白くないというこの二つの作品が、彩の国で上演されたシェイクスピア・シリーズの中でも、僕にとっては最も印象に残る作品の一つとして記憶されることになりそうだ。

読んでも面白くないから、いかに面白く見せるかという工夫、チャレンジ魂が面白い作品にしたともいえる。

『アントニーとクレオパトラ』の舞台化が困難であるのは、一つには原文の持つ美しさを翻訳の舞台で再現することが難しいだろうということと、目まぐるしい場面転換にあるのではないかと思う。

場面については、1幕が5場、2幕が7場、3幕が13場、4幕が15場、5幕が2場で、合計42場ある。

この場面転換に蜷川幸雄は、場所を表象する置物、すなわちエジプトの場面では獅子の像、ローマはロムルスとレームスの双子の兄弟が乳を飲んでいる狼の像を据え、その他の場所もそれぞれ、それと分かるもので場面を表象する。

その場面転換がテンポよく進行していくので、スピード感があって、ぐいぐいと引き込まれていく。

アントニーとクレオパトラの二人の関係が、この場面転換の多さと速さによって、感情の起伏と心の変化の多さを表象する効果を持つ。

両者の愛は大人の愛で、それは二人が置かれた状況にも左右されている。

ロミオとジュリエットの愛は、両家の敵味方の関係もなく一直線に疾走する若者の愛だったが、アントニーとクレオパトラは、二人の地位、身分に左右されるだけでなく、クレオパトラの場合には、王国を守るという使命と義務を背負っており、そのための打算が伴う愛でもあった。

クレオパトラを演じる安蘭けいの美しさは、豪奢で、妖艶な中にも清楚な魅惑を含んだものを感じた。

クレオパトラに対する愛と嫌悪が激しく揺れ動くアントニーを演じる吉田鋼太郎は、台詞の力量を見せる。

もう一人の主役といってもよいイノバーバスを演じる橋本じゅんが、クレオパトラがシドナス河でアントニーを迎えた時の情景を語る台詞(煌めくばかりの詩的な文だが)も、聞かせるだけの迫力があった。

登場するそれぞれの人物像の造形もよく特色が出ていた。

ローマの三巨頭がポンペーと和解の饗宴の場で一同が手を組んで踊るとき、池内博之が演じるオクタヴィアス・シーザーひとりだけが面白くなさそうに、付き合いで踊っているのだという投げやりな表情なども、冷徹な彼の性格をよく描き出していると思った。

もう一人の巨頭であるレピダスは坂口芳貞が人のよい人物として演じ、ローマの三巨頭体制が到底長く続くものではない関係であることが、この人物像からも感じとれるものだった。

 

これまで自分が観てきた<彩の国さいたま>の蜷川シェイクスピア・シリーズの中では、『ペリクリーズ』と『タイタス・アンドロニカス』に加えて、この『アントニーとクレオパトラ』が最も印象に残る舞台の一つに加えられる気がする。

 

(翻訳/松岡和子、演出/蜷川幸雄、美術/中越司、衣裳/小峰リリー、10月7日(金)昼の部にて彩の国さいたま芸術劇場・大ホールにて観劇)

 

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