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  SPACE U公演 『ヴェニスの商人』        No. 2011-020
 

彩乃木崇之は、演出に当たってのコンセプトを提示するのが特徴になっており、観客はそのコンセプトを読むと言う楽しみがある。

今回のコンセプトは、「人間性とは何か」「許しとは」という根源的テーマを取り上げて、「やっぱり肉はきれないよ」という言葉に彼は還元している。

だが、今回の演出で最も印象的だったのは、アントーニオの憂鬱と彼の人格性の描き方であった。

舞台となった新国立劇場の小劇場は、小劇場といっても舞台は広く、その奥行きも深い。

その大きな舞台に、この劇のための多数のオーディション参加者も加わって、開幕の場面は出演者全員がそろっての乱痴気パーティから始まる。

この乱痴気パーティは、バッサーニオが破産を招いた放蕩三昧の生活とみてよいだろう。

アントーニオはその場面に溶け込めず、浮いた存在である。

終始苦虫をつぶしたような顔をしたアントーニオは、自分で自分を疎外し、舞台中央の前面に据えられたマイクを握って、場にそぐわない歌謡曲を陰鬱な調子で歌い始めたため、パーティは硬直し、人々は四散する。

アントーニオはそこで自分の憂鬱を語り始めるが、彼の憂鬱の原因が、乱痴気パーティで他人と同じように楽しむことができない自己疎外感にあることが浮き彫りにされるという視覚効果がある。

アントーニオは人格欠陥性のある人物として描かれ、それはシャイロックに金を借りる場面で強くデフォルメされて提示される。

シャイロックの一言一言にアントーニオは癇癪を起し、ついには短剣をとってシャイロックを追い回し始める。

バッサーニオがそれを必死で止めようとするが、その時のアントーニオの執拗さは異常人格者そのものである。

アントーニオは手にした短剣を舞台中央奥の平面上の柱に突き立てることで収まりをつける。

突き立てられた短剣は、照明によって十字架の影を写し出す。

シルエットの十字架がシンボリックである。

その短剣は、人肉裁判の場面でシャイロックがアントーニオの肉を切り取ろうとするときに使われることになり、そこに二人の立場の逆転の表象のシンボルと化すのだが、三転してそれはシャイロックにとって皮肉にも十字架としての意味するキリスト教徒への改宗を迫るシンボルともなるのだった。

法廷の場でのアントーニオは、彼の人格的尊厳性は消え、死の恐怖の苦痛に歪む顔面は蒼白、終始苦渋に満ちた顔をしており、茫然自失の態である。

裁判官に扮装したポーシャの慈悲を施す説得も効を為さず、いよいよアントーニオの最後となる間際。

バッサーニオがアントーニオのもとに駆け寄り、二人は固く抱擁し合い、人目もはばからず激しいキスをいくたびも交わす(観客も思わず失笑)。

これを見ていたポーシャは、頭を抱え込んでしまう。

バッサーニオとアントーニオの関係をこのように激しく表出することで、指輪の場面が必然的な意味を帯びて浮上してくる。

裁判の勝利のお礼として、裁判官に扮したポーシャからねだられた指輪をバッサーニオは一旦は断る。

しかし、アントーニオの頼みによってバッサーニオはその指輪をポーシャに与えることになるが、この場面は、バッサーニオがアントーニオへの愛(それは友情というより恋愛的な愛)を、アントーニオから試されていることを意味することになる。

バッサーニオの自分への愛がポーシャへの愛に勝ることをアントーニオが確認することになるという意味を持つ。

ジェシカがポーシャから資産相続の書類とともに受け取ったシャイロックの腕章(法廷の場面で、シャイロックがこの腕章を二の腕につけているのだが、葬式の時につける腕章のように見え、どんな意味を持つのか自分には最後まで分からなかったが)を見て、悲鳴のような声を一声発する。

ハッピーエンドで皆が談笑するなか、ジェシカは一人外れてその腕章を手にだきしめて、うさぎおいしの「ふるさと」の歌を静かに歌い始める。

この歌は、シャイロックがバッサーニオの招きで家を出る前に跪いて祈りをするようにして歌われるのだが、それがジェシカによってこの場面でリフレインされる。

この歌は、シャイロックとジェシカのふたりが、ユダヤ教徒としての心の「ふるさと」を喪失したように聞こえた。

大島宇三郎演じるずんぐりむっくりで、つるっぱげの、入道のようなシャイロックは、これまでとは異なった破格のシャイロックであった。

大島宇三郎が二役でポーシャの家の執事役としてひょう然として登場する場面などは彼の存在感を感じさせる。

今回の舞台で魅力に感じたのは、Studio Lifeからの客演、山崎康一演じるバッサーニオ、それにネリッサを演じたまどかがよかった。

モップを持ったラーンスロットは、『夏の夜の夢』のパックのもじりかと思ったが、セリフも所作もラーンスロットの面白みには欠けていた気がして自分にとっては少し不満で、残念な気がした。

 

途中10分間の休憩をはさんで2時間半の上演時間。

座席はA席13番(最前列の上手より)だった。

 

(訳/小田島雄志、演出/彩乃木崇之、9月10日(土)昼の部を新国立劇場・小劇場にて観劇)

 

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