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  東京シェイクスピア・カンパニー公演 『シンベリン』       No. 2011-017
 

目白アイピットは、閑静な住宅街の中にあるマンションの一角の地下にある小劇場。
TSCの今回の公演で初めてこの劇場を知った。
思えばTSCにはさまざまな小劇場を案内してもらってきた。というより、旅役者の一行のように定まった劇場に安住せず、常に新天地を求めているというのではないかと、今回改めて感じた。
劇場はせいぜい百人程度収容の小さなものだが、自由席ということで最前列の中央に席を取った。
舞台装置はホリゾントに、交差したり、接点を合わしたりした大小の輪が智恵の輪のようにしてあり、その中を綾取りの糸のように交錯して直線が走っている抽象的な背景。
冒頭の紳士の二人の会話に代えて、舞台中央の奥でフィラーリオ夫人が、その取り巻き連中であるフランス人、アラゴン人、そしてイタリア人のヤーキモに談笑して聞かせているところである。
その四人の上手側に、階段状の台座にシンベリンが不機嫌な顔をして座って虚空を見つめている。
舞台下手には、ポステュマスとイモジェンが悲しそうにして抱き合っている。
上手では、王妃とその息子クロートンが佇んでいる。
最初の舞台構成で、この劇の物語性を暗示させる演出である。
ローマの三人の客人は上半身裸で、賭けをして一気飲みをしたりしている。
上半身裸なのは、多分公衆浴場での雰囲気を醸し出しているのだろう。
ローマでのこの会話の場面を、ポステュマスの友人フィラーリオその人でなく夫人としたのは、キャスティングの関係もあるかもしれないが、女性を登場させることでローマの退廃的気分を出していると見るべきだろう。
出だしにこのような工夫を凝らしながらも全体としては原作に忠実な運びである。
2月の定期公演のチラシには次回公演としてこの『シンベリン』の上演を案内していて、その出演者には牧野くみこもあがっていたが、病気のため降板となった。
おそらく彼女がイモジェンを演じるところだったのではないかと思うと大変残念な気がする。
そのイモジェンは、つかさまりが演じ、相手役のヒーローのポステュマスを関野三幸が演じた。
アラゴン人とカイヤス・ルシアスを演じた原元太仁はローマ人の武将姿がよく似合う。彼にはシーザーをやってもらいたい気がするほど堂々としている。
ピザーニオを演じた川久保州子が印象に残る演技だった。
シンベリンには劇団AUNの星和利、ヤーキモを大須賀隼人、王妃とアーヴィラガスを藤井由樹、ベレーリアスをかなやたけゆき、フランス人とグィデリアスを田坂和蔵、クロートンや医師を田山楽、フィラーリオ夫人とローマの占い師を朝麻陽子が演じた。
今回、佐藤圭一のリュートの演奏に、やぎちさとの演奏と歌が加わり、その歌が異国的な哀調を感じさせ心にしみた。
大きな感度を感じるという舞台ではなかったが、シェイクスピアのロマンス劇の構造を感じさせるものがあった。

(製作総指揮・訳・脚本・演出/江戸馨、美術/濱崎賢二、7月23日(土)、目白アイピットにて観劇)

 

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