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  シェイクスピア・シアター公演 『シンベリン』       No. 2011-012
 

シェイクスピア全作品を上演したシェイクスピア・シアターにして、『シンベリン』は渋谷のジャンジャンで1980年に上演して以来、実に30年ぶりになるという。

また、これまで劇団の中心的存在だった平澤智之が退団しての初めての公演でもあり、新たな布陣での上演ということもあって、楽しみな期待感もあった。

ヒーローのポステュマスには文学座の大場泰正、ヒロインのイモージェンには無名塾の篠山美咲、またシンベリンには文学座の戸井田稔(当初は川辺久造の予定であったが病気のため変更)、王妃には、元シェイクスピア・シアター2期生の女優で、現在はアクセント所属の、吉沢希梨が客演で演じた。

見終わって感じたことだが、平澤智之が在籍していれば、彼がポステュマス、松本洋平がヤーキモーを演じて、イモージェンを住川佳寿子が演じていればまた違った面白さがあったのではないかと残念な気もした。

イモージェンを客演の篠山美咲が演じているので、住川は木村美保といっしょに、それぞれシンベリンの息子のグィデリーアスとアーヴィラガスを演じたが、このキャスティングは意表をついたようでもあるが、実によくはまっている役柄だと思った。

『シンベリン』はもともと女役の出番が少ないので、イモージェンと王妃、侍女のヘレンを除けば女優の出番がなく、住川、木村という中心的な俳優の出番がなくなるのも惜しいので、彼女らが男役を演じたのもその意味でもよかったと思う。

舞台は、最近の出口典雄の演出にはめずらしく、場面設定の工夫があった。

舞台左右に大きな書架がそれぞれ三つずつ縦に並んでいる。図書館の風景である。

冒頭の場面である二人の紳士の語らいは、住川佳寿子と木村美保が二人の紳士の台詞を、本を読みながら朗読する形で始めて、二人はプロローグのコーラスの役目を演じる形式となっている。

図書館には数名の人物がそれぞれ思い思いに書物の頁をめくって、読書に没頭している。

前半部は自分にとっては盛り上がりに欠けて感じ、ときどき眠くなってしまったが、最後、シンベリンの勝利の陣営でイモージェン、ポステュマスの正体が明らかとなり、ベレーリアスによってグィデリーアスとアーヴィラガスがシンベリンの息子であることが明かされる場面は感動の場面となって迫るものがあった。

特にシンベリンがすべての事実を覚って、「すべてのものを許そう」と言う台詞では、この劇はこの言葉に集約されるとひらめくものがあった。

シェイクスピアの後期の作品であるロマンス劇に共通してあるのは、誤解、離別、再会の喜び、和解、許し、などであるが、そのことを一挙に感じさせる台詞の力を、戸井田稔のシンベリンに感じた。

出番は前半部にしかないが、吉沢希梨の演じる王妃の憎々しげな顔と振る舞いは、彼女をおいて右に出るものはないほど適役、その存在感は群を抜いていて、久しぶりに彼女の演技を観ることができたのも収穫であった。

今回の公演は『間違いの喜劇』との2目上演であるが、このたびはこの『シンベリン』だけ観た。

ローマ軍の将軍リューシャスに滝本忠生が演じ、年代的にシンベリンを演じた戸井田稔と近く、全体を落ち着いた雰囲気にさせるのに効果的だと思った。

そのほか、クロートンを中西俊介、ベレーリアスを伊藤大徳、ピザーニオを高山健太、そしてヤーキモーを宇野賢二郎らの若手が演じた。

上演時間は、途中10分間の休憩をはさんで、2時間50分。

 

(訳/小田島雄志、演出/出口典雄、5月28日(土)昼の部を俳優座劇場にて観劇)

 

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