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  タイプス・プロデュース公演 No.43 『夏の夜の夢』      No. 2011-009
 

会場で渡されたパンフレットの公演スケジュールを見て今回の上演がA、Bのグループで一部ダブル・キャストになっているのを知った。さらによく見ると出演者の役割に、アテネの職人ピーター・クィンクスの代わりにA班がボトムの妻、B班がボトムの娘になっているのに興味がわき、当日のみのチケットしか求めていなかったが、是非両方観たいものだと思った。

最初に観たのはB班のものであったが、プロデューサで一真プロダクション代表の新本一真氏の好意で翌日のA班の公演も観ることができ、二度楽しむことができたのが今回最高の収穫だった。

このような異なるバージョンでの『夏の夜の夢』で思い出すのは、シェイクスピア・シアターの三通りによる『夏の夜の夢』の連続上演であった。1994年、当時のパナソニック・グローブ座で上演された「バーの夏の夜の夢」、「学校の夏の夜の夢」、「仮面の夏の夜の夢」のスリー・バージョンである。

今回の公演はそこまで意識された変化のあるバージョンではないが、一部がダブル・キャストということで、一味違った趣を楽しむことができた。

劇場は中野ザ・ポケットで座席数も90席程度の小劇場だが、舞台は意外と大きく感じる。

舞台装置は、中央奥に三段の階段状の装置とレースの紗幕、上部にミラーボールのような球体がぶら下がっている。両脇にハの字型に高さの異なる長方形の台座。舞台前方に大きさが少しずつ異なる球体が中央部とその両脇に鎮座。

間もなく開演します、というお知らせからしばらくそのままの状態が続き、会場では話し声がまだしている最中、客電がおりる前、舞台上手よりパックが登場し、ぶらりぶらり歩き回って中央奥のミラーボールを見つめる。

パックがゆっくりと舞台を歩き回っているところへアテネの公爵シーシュースが下手より登場。彼も無言のまましばらく舞台を歩き回り、そこへ同じく下手からタイテーニアが登場する。

シーシュースが二人の婚礼の話をしているところを見届けたあと、パックは上手奥にひっそりと退場する。

シーシュースがタイテーニアに婚礼の待ち遠しさを語る台詞は、若さの熱情はないが大人の沈着さを感じさせるのはシーシュースを演じる猪俣俊明の年齢もあるかもしれない。派手な感じはまったくないが、渋みのある演技で説得力のある台詞に好感がもてた。

シーシュースとタイテーニアに妖精の王オーベロンと妖精の女王ヒポリタをダブリングして演じさせず、別々のキャストにしているのもこの演出の特徴の一つだった。ピーター・ブルックの演出以来この二組の登場人物を同一の俳優が演じることが多いので、このことも却って新鮮に感じるところがあった。

シェイクスピアの舞台では演出次第で中心的な登場人物が変わって感じられることがよくある。

今回最初に観たB班のバージョンでは、内山絢貴が演じるヘレナに関心が集中した。それでそれは内山絢貴の演技力によるものかと思ったが、翌日のA班での若松小百合のヘレナも同じように非常に強い求心力を感じたので演出による効果であろうと思った。ヘレナはディミートリアスに振られても振られても追っかけまわすカッコ悪い役だが、そのカッコ悪さがカッコよく、面白おかしく演じられてよかった。

アテネの職人たちのうち、ピーター・クィンスの代わりにボトムの娘とボトムの妻にしたことによる効果としては、アトホームな家庭的なぬくもりを感じさせ、心温まるものがあった。それは、娘役の近藤恵理(A班では妖精の豆の花を演じた)や妻の役を演じた小谷まり(B班ではアテネの職人スナウト役)の演技によるところが大きかったと思う。

ダブル・キャストは、タイテーニア(Aは屋良夏美、Bは松原ひろみ)、ハーミア(八子あゆ美、小瀬村玲奈)、ディミートリアス(野口大輔、小森谷朋基)、そしてヘレナの若松小百合と内山絢貴など。どちらが良かったなどと言うのは無粋なことで、それぞれの演技、台詞を楽しむことができたのが一番であった。

シーシュース、タイテーニア、イージアス、オーベロン、パック、ボトム、ライサンダーなどはA、B班とも同一キャストであった。

若い元気な俳優に交じっての高齢な(?)俳優の存在も見逃せない。イージアスを演じた瀬川新一、アテネの職人スナッグを演じた神本十兵衛(82歳?)に渋い味わいがあった。若さでは得られない得難いものを感じさせ元気づけてくれた。

そのイージアスの印象に残った場面として、明け方の狩りの場でシーシュースが森の入口で発見した四人の若者たちをめでたく二つのカップルにまとめ、三組の披露宴を張ろうと狩りを中止して宮殿へと戻る場面で全員が退場する。全員一緒に一旦引っ込んだ後イージアスが再び登場し、舞台中央に進み出て何かを語ろうとして佇むが、そのまま口を噤み、その沈黙の後再び奥に引っ込む。台詞を何も言わないが、そこに言葉に尽くせない無限の重みを感じる余情があった。

劇団四季の舞台にも立っていた加藤雅也のオーベロンの声量はすばらしく、長崎県五島列島出身の五島三四郎のパックの演技、新本一真のボトムの台詞力など二度味わうことができたのも、演劇を観る喜びを感じてありがたいことだと思った。

 

上演時間は休憩なしで2時間。

<私の観劇評>一つの劇をダブルの楽しみ得て得をしたので、★★★★

 

(訳/小田島雄志、演出/ぱく・ばんいる、中野ザ・ポケットにて、
5月1日(日)昼B班、2日(夜)A班の上演を観る)

 

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