高木登 観劇日記トップページへ
 
  劇団東演公演/ベリャーコヴィッチ演出 『ハムレット』       No. 2011-006
 

劇団東演公演、モスクワのユーゴザーパト芸術監督ベリャーコヴィッチ演出になる『ハムレット』では、人生をまっしぐらに走った青年ハムレット、凝縮された人生を生きたハムレットを感じた。

前列から4列までの座席を取り払い前方に大きくせり出した張り出し舞台、後方には円柱をイメージする円筒が10数本天上から吊り下げられ、舞台全体の照明は一様にダークグレーの暗黒。

動悸を打つような扇情的な音楽とともに、暗いステージを上手から下手、下手から上手へと疾走する役者たち。

疾走が鎮まり、クローディアスとガートルードの婚礼の場となる。

二人は婚礼の口づけをしようと、互いに首を鳩がクックと首を突き出すような所作を繰り返す。

この所作に見られるように、ベリャーコヴィッチの演出には様式化された所作が特徴となっている。

役者一同が全員舞台前方を向いて、片肘を眼前に折り曲げて突き出し、顔を鳩が首を突き出すような所作を繰り返す動きなどもその一例であり、舞台を疾走する所作もひとつの様式といえる。

台詞にも大胆な変更があるが、一番の驚きはハムレットの独白の思い切った入れ替え。

尼寺の場面冒頭でハムレットが吐く独白、’to be or not to be’の一連の台詞が消えているのだ。

はじめは聞き逃したのかと思っていたが、レアティーズとの剣の試合の前、自分の運命に対する前兆としてこの台詞を語る。それがこの場面の状況と調和しているから不思議だ。

剣の試合では、ガートルードは汗をかくハムレットにハンカチで拭こうとする場面もないので、彼女のハムレットへの思いも十分には感じられない演出となっているのも印象的だった。毒杯を呑んで死んだガートルードは、最後にはハムレット王の亡霊に連れ添われて退場して行くのも初めて目にする光景。

レアティーズの毒の剣で倒れたハムレットの最後の台詞、「あとは、沈黙―」という言葉は、クローディアスの立ったままの死体を背にして吐く。ハムレットはそこでこと切れる。そこにはホレイショーの出る幕がまったくない。

惨劇の後、舞台には何も残らず、そのまま終わりかと見えたが、全身白い衣裳にくるまれ、頭には三角のフードをかぶった一団が舞台を縦横に疾走し、片目に黒い眼帯をしたフォーティンブラスが登場する。

フォーティンブラスはデンマークの王権に与る権利があることを主張し、ハムレットを武人にふさわしく取り扱うことを命じる。ノルウェー軍の白い衣裳は、それまでのデンマークの黒い衣装から一転して新しい時代の到来の表象化したものと考えられる。

ハムレットとオフィーリアの関係の描き方も、はっきりと二人が愛し合っている姿に演出している。

オフィーリアの狂気は、父親ポローニアスの不審な死が原因というより、ハムレットの突然のイングランドへの旅立ちに起因するような台詞をはかせる。そのオフィーリアの狂気は、黒い衣裳の上に羽織った白い大きなショールのような衣装を翻しながら蝶のように乱舞する所作によって伝わってくる。

疾駆するハムレットに南保大樹、クローディアスはベリャーコヴィッチ、ガートルードには星野ゆかり、オフィーリアは吉田美奈子、レアティーズをドラチェーニン、ポローニアスは俳優座の武正忠明、亡霊に同じく俳優座の村上博が演じている。

上演時間は途中15分の休憩をはさんで3時間。

前日の東北関東大震災の影響で、本来満席のところ(チケットは売り切れだった)、空席が2割ほど見受けられた。

【私の観劇評価】 ★★★★

 

(翻訳/外塚由利子・佐藤史郎、翻案・演出・美術/ワレリー・ベリャコーヴィッチ、3月13日(土)昼、
下北沢・本多劇場にて観劇)

 

 

>> 目次へ