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  シアターコクーン・オンパレード2011、串田和美潤色による 『十二夜』
         ― 両性具有の双子を兄妹に分化 ―           
No. 2011-003

 舞台は紗幕の内側を影絵のように人形の楽隊が上手から下手へと音楽に合わせて進んでいくところから始まる。次に舞台に登場する役者たちがそれぞれ楽器を鳴らしながら舞台に登場し、お祭り騒ぎを興じる。
 舞台上手奥には、浜辺に打ち上げられた廃船の舳先と前半部が見える。
 廃船の朽ちた板を用いて作ったような板敷の張り出し舞台、後方には黄色い砂の浜辺が遠くまで続き、その先には薄緑色をした海の風景が広がり、舞台中央には、「潮風の中で朽ちた祭用仮設舞台」がある。
 今日は十二夜のお祭りの日、海辺の仮設舞台で芝居が演じられるという趣向。
 串田和美の想像力のふくらみと豊かさを楽しませてくれる舞台。
 これまで少しも考えたことのないことに多く気付かせてくれた。若い女性が海難でひとり知らない土地に流されてきたときの心情についてこれまで考えたことも想像したこともなかった。
 それまでいつも一緒だった双子の兄妹、その兄と海難で離ればなれになってしまっただけでなく、その安否も知れない、若い女の子の不安感と心細さは測り知れないものだろう。
 そこで女一人が身を守って生きていく安全な方法は、旅と同じく男の姿で生きていくことだと直感的に覚る。
 串田和美はそのヴァイオラの決意を、女性の命とも言える髪を切ることで表現する。その着想が凄いと思った。
 夕映えの海を見つめながら(観客に対しては背をむけた姿になる)船長に髪を切ってもらうヴァイオラの姿に、寂寥感と孤独を感じる。
 そのヴァイオラを演じる松たか子は兄のセバスチャンとの二役をするが、そこにも意味が潜んでいる。
 串田和美の潤色、演出でこの『十二夜』についてあらためて思い知らされたことがある。
 それはヴァイオラの自立。
 海難事故に合うまでヴァイオラとセバスチャンの二人は片時も離れたことのない兄妹で、お互いが依存しあって自立していない。しかも一卵性双生児ということで、両性具有の二人でひとりという存在でもあった。
 身体は二つでも心は一つの両性具有の二人に分化した存在がヴァイオラとセバスチャンであり、海難事故で二人は離ればなれになっても互いを求めあっている。
 しかし二人がそれぞれ恋をすることで心身ともに分化され、自立していく。
 串田和美はアンドゥロジニーを具現化するため、立て看板の絵にして舞台に持ち出し、その絵を屏風のように広げると、男と女に分化した姿になることで視覚化させ、表現する。
 ヴァイオラとセバスチャンはこのアンドゥロジニーにほかならなかったのだと、その絵を見て思いつかされた。
 ヴァイオラとセバスチャンの感動的な再会の場面では、よく使われる手法の、片方に代役を出すのではなく、松たか子がひとりでそのまま二人を演じる。
 そのためヴァイオラが語り部として二人のこれまでのいきさつを語る間、舞台の演技は中断した形をとり、周りの人物は時間が止まったように静止している。二人のいきさつを語り終えると、ヴァイオラは「演技に戻りましょう」といって芝居を続け、再び舞台が動き始める。
 繰り返しいろいろな演出でシェイクスピア劇を観る楽しみのひとつに、これまで気づかなかったことの発見をさせられる。今回、その発見を十二分に楽しませてもらった。
 さて舞台の方に再び戻る。
 開演の場面は先に記したとおり、この劇が十二夜の祭りでの芝居の趣向をとっている。
 原作とは1幕1場の場面と2場の場面の順序が入れ替わって、海岸で髪を切って男装したヴァイオラが名前もシザーリオと変えてオーシーノ公爵の屋敷に来ている場面。
 そこは仮設舞台で、ヴァイオラは劇中劇を観ている形となって、今その幕が開くところである。
 幕が開くと、仮設舞台の中央にバスタブにつかったオーシーノ公爵が、ワインの味にたとえて恋を語っている。
 湯船からあがったオーシーノがシザーリオに呼びかけてから、劇中劇から本芝居の始まりへと移行する。
この芝居が劇中劇であることを示すように、いろいろな場面がこの仮設舞台で演じられる。
 チビとノッポの二人の道化が漫才コンビのようにしてコーラスの役割をして要所々々でその進行役を務める。
 マライアの偽の手紙にまんまと騙されて鶏の格好に変身するマルヴォーリオを演出の串田和美自らが演じる。
 この『十二夜』ではサー・トービーの大森博史、フェビアンの片岡紳一郎ほか串田和美のオンシアター自由劇場のかつてのメンバーが多く参加し、息のあった演技を見せる。
 なかでも道化フェステを演じる笹野高史はこの舞台の出色であった。
 彼が歌うイソギンチャクとサザエの恋物語の唄など面白く、おかしく、ユーモラスであった。
 オーシーノ公爵には元劇団四季の看板俳優だった石丸幹二、モデル出身のりょうが美貌のオリヴィア、荻野目慶子がお茶目なマライア、サー・アンドルー・エイギュチークを歌舞伎俳優の片岡亀蔵が演じ、まさに多彩な陣容。
 この『十二夜』は音楽劇といってもよく、舞台の雰囲気に欠かせないのが音楽。
 シェイクスピアの時代のリュートを専門にしているというつのだたかしのリュートの音楽が素晴らしい。
 そのシェイクスピア時代の音楽に加えて、現代の金管楽器などを加えて役者全員が参加してドンチャカ音楽を奏でる祭りの雰囲気も楽しい。
 串田和美の多芸多才を感じたのは、この作品の潤色・演出のみならず、美術、衣裳まで彼が手がけているということであった。
 最後にプログラムについて。
 一部1500円と決して安い値段ではないが(というより非常に高い)、この手のプログラムに多い出演者の顔写真をやたらに強調するものに終わらず、串田和美の巻頭のエッセイ(といってもよい内容)が読みごたえがあり、さらには出演者全員(俳優だけでなく、楽器を演奏する出演者も)がこの『十二夜』に思いを込めた絵を描いて掲載し、それとはまた別に[私の『十二夜』]と題して錚々たるイラストレーターによる多数のイラスト、詩人の蜂飼耳の『十二夜』に寄せる詩、「鏡と片恋」などが掲載され、内容の濃いものとなっている。
 上演時間は途中15分の休憩をはさんで2時間50分。
 私の観劇評価は、★★★★★


訳/松岡和子、潤色・演出・美術・衣裳/串田和美
1月16日(日)18時開演、渋谷・シアターコクーン、チケット:(S席)9500円、座席:1階P列24番

 

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