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  俳優座公演 『リア王』―リアの影法師―      No. 2011-002
 

はじめにアフタートークの話題から。

観劇当日その日までアフタートークがあるのを知らなかったのでこれは儲けものであった。

アフタートークには今回の台本・演出の安川修一、リア王を演じた中野誠也、それにリアの三人の娘たちを演じた井上薫(ゴネリル)、佐藤あかり(リーガン)、太田亜季(コーデリア)の五人のメンバーが参加。

はじめに演出の安川修一の話から始まった。

安川修一にとってシェイクスピアは初めての演出だが、彼にとって『リア王』には深い因縁がある。

40年前、彼がまだ下走りの時代、千田是也演出で東野英治郎がリアを演じた時、舞台美術を安部公房の奥さんがされたそうであるが、その背景の雲を描くため彼は徹夜で写真を撮って、一日がかりの末やっと出来上がったと思ったら、その翌朝千田是也からイメージとは違うと言われたエピソードや、今回リアを演じた中野誠也がそのときエドマンドを演じたことなどが話された。

彼の今回の演出のコンセプトとして、旧世代と新世代の対立、新体制にとって旧体制は邪魔な存在であり、旧体制は理性より感情によって動かされる非論理的な世界としてとらえ、その違いを「衣裳」の色によって表現したという。

すなわち旧体制は白の衣裳、新体制側には黒の衣裳を着せている。

その色分けとしてはっきりとさせているのは、旧体制の人物にリア王、コーデリア、ケント伯、グロースター伯、フランス王、新体制側にはゴネリル、リーガンの姉妹と、リーガンの夫コーンウォール公、それにエドマンド。

オルバニー公やエドガーはグレーの衣裳であったが、それは新しい世代の人物だが、心情的には旧世代に属するとみての意図であったろうか、その説明はなかったが衣裳の色について言及されたことでそのように自分としては思った。

現代風を出すために音楽はビートルズのナンバーから採用しており、道化が縦笛で吹く曲もビートルズの曲を使っている。

また劇を近しいものにするために衣裳を現代服とし、王に対する挨拶、表敬を示すのに身体全体を大地に伏せるような古代ブリテンの所作をあえて避けさせたということであった。

中野誠也のトークでは、リア王を演じる役者についてよく話題になることだが、役者にはそれを演じる旬があり、東野英治郎が彼に語ったことによれば、リアを演じるには少し年をとっていた(体力的な面で)ということで、今回、70歳を過ぎた彼にとってもワンチャンスのタイミングであったと思う。

その40年前の『リア王』の舞台を観たことがあるという観客がいて発言されたが、それは正確には37年前ということで、その人の話では当時ホリゾントの「雲」の描写は手作りのものだったが、同じ雲でも、今回のようなCGより味わい深かったということであった。

話が前後してしまったが、劇についての新しい試みが、そのコンセプトとともに随所に表れていた。

冒頭の、ケント伯(星野元信)とグロースター伯(河野正明)の二人の会話は、舞台下手の袖の部分で交わされ、息子の話題のとき、エドマン(関口晴雄)ドだけでなくエドガー(蔵本康文)も一緒に登場させている。

舞台中央には一間地球儀のような感じの大きな銅鑼が据えられている。

上半身裸の筋肉質な人物(白い衣裳のズボンをはいているので旧体制の人物)が銅鑼を叩いて鳴らしたのを合図に、上手よりリアがコーデリアと腕を組んで仲睦ましくおもむろに登場し、ゴネリル、リーガン夫妻が後に続く。

王座に坐したリアの傍らには道化(若井なおみ)が座って周囲を見つめている。

リアへの愛の表現が言葉にできず怒りを買ったコーデリアを弁護したケントが追放される。

コーデリアがフランス王と立ち去るとき、ゴネリルもリーガンも二人とも儀礼的にコーデリアと別れの抱擁をするが、すぐ突き放すという所作を加える。

嵐の場面から後道化は姿を消すのであるが、この演出ではリアの登場する場面には道化が必ず登場し、下手の袖の方で座って縦笛を吹く、影の存在となる。

原作ではそこまで見せないエドマンドとゴネリルの情事の関係を表現する場面や、イングランドに上陸したフランス王とコーデリアの愛撫の場面などが台詞入りで演じられ、二人のいちゃつきが少し興ざめな感じがした。

コーデリアが殺されてリアが泣き叫ぶ場面では、リアの咆哮は舞台下手側の舞台奥より聞こえてくる。

コーデリアは舞台下手から担架で運ばれてきて、リアはその後に続いてひとり泣き叫び登場する。

これまで観てきた舞台では普通、リアはコーデリアを抱いて、舞台中央の奥から登場することが多いのだが、これはまったく異なった演出で、担架に乗せられたコーデリアはなんとなくバラバラ、チグハグな印象であった。

開帳場の舞台のため役者の腰への負担を考えての演出なのかその辺の事情は分からないが、コーデリアを殺されたリアの心痛の悲しみが伝わってこず、この場面では涙も出なかった。

最後の場面の台詞の省略もこの演出のコンセプト―リアが死んだ後、国家・社会を再建するものが誰もいない―の重要な要素を示すものに思われた。

ケント伯の旅立ちの台詞やオルバニー公の次の世代に託す台詞が一切なく、リアが息を引き取った後、ケントやエドガー、オルバニー公は夕映えを背にして舞台前方、下手側の方向を全員が遠く眺めて立ちつくし、余情をこめて溶暗していく終わり方である。

白と黒の旧体制、新体制の両方が倒れてしまった後、残されたものはグレーゾーンの者たちである。

彼らの先に未来は見えてこない。だから最後に託す言葉などないのだという無言のメッセージともとれる。

主演の中野誠也のリア王については、映像で見たことがあるオリヴィエのリアによく似ていると思った。

新しい試みはあったものの、全体としてはおとなしい感じでインパクトのある舞台ではなかった。

ということで私の評価は、★★★

上演時間は休憩をはさんで3時間40分。

 

(訳/小田島雄志、台本・演出/安川修一、俳優座劇場にて1月15日(土)昼の部観劇)

 

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