高木登 観劇日記トップページへ
 
  TSC設立20周年記念公演 『じゃじゃ馬はいかが』      No. 2010-017
 

〜 東京シェイクスピア・カンパニー設立20周年記念公演 第二弾 〜

東京シェイクスピア・カンパニー設立20周年という記念すべき節目に、シェイクスピア作品を素材にしたオリジナル戯曲、 “鏡の向こうのシェイクスピア” シリーズが第10作目を迎えるというのも何かの縁だろう。

このシリーズはシェイクスピアの作中人物を違った形に甦らせるというユニークな試みで、シェイクスピアを読むことのイメージを膨らませてくれることでは、いつも楽しく見させてもらっている。

今回の『じゃじゃ馬はいかが』は、そのタイトルからまず思ったことは、もしそのように自分が言われたら何と答えようという想像から始まって、どのようなじゃじゃ馬ぶりが出てくるか、それに多分じゃじゃ馬娘を演じるであろう牧野くみこがどのように演じるか、という期待の楽しみがあった。

作者であり、このカンパニーの主宰者でもある江戸馨がチラシの巻頭言に、『じゃじゃ馬ならし』は「女性虐待ともとれる、夫ペトルーチョの仕打ちと、最後にキャタリーナが恭順の意を示して頭をたれる場面が、それまで観た舞台では納得できなかった」ので好きではなかったと書いている。

これまで聞いてきたこの作品に対する女性の評価というのがおおむねこれと同じものであったので、女性はこのように見ているのだと、あらためて面白く思った。

シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』には、二つの点で関心がある。

一つは、16〜17世紀のイングランドでは、手に負えないがみがみ女(shrew)には水責め椅子(ducking stool)という懲罰具があって、長さ12〜15フィートの頑丈な梁材の一方の端に肘掛椅子を一脚取り付け、その椅子は常時水平の位置を保つように車軸にまたがせて取りつけてあり、女は座ったままがんじがらめに縛られて、梁の端を持ち上げると女は水につかる仕組みとなっている。(注1)

そのような道具があり、風習があったという事実から、当時の人々(男ども)が、がみがみ女に手を焼いていたということが想像される。

今一つは、この作品自体の構造、つまり鋳掛屋スライが観る劇中劇という形で『じゃじゃ馬ならし』のストーリーが展開されることである。

直接に劇とせず劇中劇としたところに、シェイクスピアの8歳年上の妻アン・ハザウェイのことが頭に浮かんでくる。

現実ではがみがみ女を決して恭順にすることはできないが、ペトルーチョがキャタリーナを従順にさせることができたという仮託の幻想を感じる。

江戸馨がこの作品を見直したのは、1987年にロンドンのバービカン劇場で観たRSCの、ブライアン・コックスのペトルーチョ、フィオナ・ショ―が演じたキャタリーナの恋愛劇、『じゃじゃ馬ならし』だという。

その感激を江戸馨は、キャタリーナとビアンカの二人姉妹から4人の姉妹に変えての4つの恋物語に変容させた。

長女エイドリエーナ(『間違いの喜劇』のアンティフォラス兄の妻の名)、次女キャタリーナ、三女ジュリア、四女ビアンカの四姉妹である。

長女エイドリエーナ(つかさまり)はすでに結婚していて、夫がペトルーチョ(原元太仁)。

舞台の冒頭で、白い花嫁衣装を着たエイドリエーナが、『じゃじゃ馬ならし』のキャタリーナが二人の女性を諭す場面の、夫に対する恭順の台詞を語る。

この台詞を聞いていて感じたのは、面従腹背とまで言わなくとも、妻の夫への勝利宣言のように聞こえるのだった。

『じゃじゃ馬はいかが』を通して感じたのは、女性優位の印象であった。

エイドリエーナの夫ペトルーチョは、酒飲みで金遣いが荒く、妻に君臨しているように見えて実は尻に敷かれている。

ペトルーチョはエイドリエーナの結婚持参金も使い果たし、妻の父親が亡くなる寸前に託した3人の娘を結婚させることで遺産金を自由に預かれることから、結婚の画策を練る。

次女キャタリーナ(牧野くみこ)を義父が亡くなる直前にヴェローナの大金持ちの息子クローディオ(関野三幸)と結婚させるが、キャタリーナはこの結婚を承諾していない。

キャタリーナの性格は、『じゃじゃ馬ならし』のキャタリーナより、『から騒ぎ』のベアトリスに近い。

ということもあってか、彼女の夫(?)の名前は、クローディオ(『から騒ぎ』ではヒーローの夫)。

クローディオはキャタリーナに対していつも受身で、自分というものを出さない。

それでいてキャタリーナのすべてを分かっていて、先回りして気配りをする。

キャタリーナはそれが気に食わず反対のことをするが、クローディオは彼女から半歩下がったところでついていく。

三女ジュリア(川久保州子)は、自然科学に興味を持ち、ジリスの発見を追い求めている。

フィレンツェから学問の都パデュアにやってきたペトルーチョの友人ホーテンショー(齊藤嵩也)が、その三女と出会って一目惚れする。

ホーテンショーの目的は学問で、パデュアの教師の元で学ぶことであったが、ペトルーチョには別の目論見があって、ホーテンショーに友人と二人で来ることを条件に面倒をみる約束をしていた。

その目論見とは、遺産金を自由にするために三女と四女をホーテンショーとその友人に結婚させることであった。

ペトルーチョの不純な動機を別にして、結果的にはその思い通りに収まって、めでたしめでたしとなる。

その思いとは裏腹な行動を取るキャタリーナの本心を見抜いている四女のビアンカ(榛葉夏江)は、クローディオと親しくしてキャタリーナに嫉妬心を起こさせ、キャタリーナにはホーテンショーと仲睦まじく寄り添わせてクローディオに嫉妬心を起こさせ、結婚が思い通りにならない彼がヴェローナに戻る決心をするように画策する。

一方、ホーテンショーと一緒に来る予定であった友人のアントーニオ(かなやたけゆき)は、途中で神父になりすましてパデュアに既に入っていて、ビアンカと出会い、二人はお互いに好意を抱く。

ビアンカの画策が思わぬ波紋を広げ出す。

クローディオと親しくするところを神父に目撃されて、ビアンカは誤解されることで心配になる。

ホーテンショーはキャタリーナと腕を組み合っているところをジュリアに見られ、心を乱し、二人を見たクローディオは本気にヴェローナに戻る決心をする。

キャタリーナは、ホーテンショーが自分のための食事を用意してくれるものがことごとく彼女の嫌いなものばかりで、初めてクローディオの気配りと彼女のことが分かってくれていることを理解し、自分の本当の気持に気付く。

ペトルーチョは、キャタリーナとクローディオとの結婚をなかったことにし、臨時の神父アントーニオにキャタリーナとホーテンショーを結婚させることを頼み、エイドリエーナはビアンカの絵画帳から、彼女が神父を愛していることを覚り、神父は結婚できない身の上であることから、アントーニオに黙って町を去ることを頼みこむ。

そのもつれた糸が一挙にほぐれて、三組の結婚がめでたくまとまるという、観ていて楽しいお芝居であった。

 

<私の観劇評>★★★★

 

(脚本・演出/江戸馨、7月25日(日)昼、神楽坂、シアター・イワトにて観劇)

 

(注1)参考資料:ロバート・チェインバーズ著・加藤憲市訳『イギリス古事民俗誌』

 

>> 目次へ