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  シェイクスピア・シアター公演 『ペリクリーズ』      No. 2010-009
 

〜 愛と、別離と、再会をテーマにして (その1) 〜

 

最近のシェイクスピア・シアターの舞台にしてはめずらしく舞台背景らしきものがあった。

いわゆるホリゾントは、全面が格子の障子となっていて、中央部一間半ほどの幅に、戦後の廃墟らしき都市の写真が引き伸ばされて写し出されている。

舞台の四隅には、それぞれ一斗缶サイズの四角い白い箱。と、その前に不揃いなサイズで三つ、四つ、フレームに入った写真が飾られている。

これは第二幕では取り去られていて、自分にはこの舞台装置の意味がよく分からなかった。

強いて関連づければ、マリーナの乳母リコリダが亡くなった場面で、中央の障子が開かれ、そこにはいくつかの年代のまちまちの女性の写真が飾られているのだが、その表出にしても一貫性がないように見えた。

開演と共に写真の映像が消えて中央部の障子が両側に引き開けられ、そこから戦役学徒の服装を思わせるセーラー服にモンペ姿の女学生と、国民服を着たような男子がガワ―役として登場する。

ガワ―の最初の台詞は、女学生の格好をして本を持った住川佳寿子が、その本を読むようにしてガワ―の台詞を語り、それに合わせて五人のガワ―役が唱和する。

その後住川演ずるガワ―は沈黙し、木村美保のガワ―の声を中心にガワ―の台詞の唱和が続く。

この場面でもそうであるが、その後もガワ―は複数の人物の唱和で、正面に端坐した姿勢で語られる。

その声は、低く、地の底から這い上がってくるように語られ、音の調子は異なるのだが、御詠歌を詠じているような響きを感じた。

アンタイオカス王の服装も関東軍のような兵隊服を思わせるものである一方、同時に登場してくるペリクリーズは白のタートルネックのセーターに普通の黒のズボン姿で、そこには何も統一性がない。

戦争による廃墟の都市の写真と、セーラー服にモンペ姿の女学生などの衣装との関連性はあっても、その後の登場人物の衣裳に一貫性と関連性がなく、どういう思想で衣裳付けされているのかが疑問であった。

シェイクスピア・シアターの創立36周年目の春秋両シーズンの共通テーマとして、「愛と、離散と、再会」を掲げているが、テーマと、体現されるものとが一体性に欠けているような気のする舞台である。

セーザとマリーナの役を住川佳寿子がふた役するのはごく普通の演出法だと思うが、興味があったのは二人が同時に出なければならない再会の場面。

それまでマリーナを演じていたのが、ダイアナの祭壇の前ではいつの間にかすり替わってセーザが住川佳寿子となって、マリーナは中島江美留になっていたが、これはうっかりしていて、いつすり替わったのか見逃した。

松本洋平がガワ―、ヘリケイナス、サイモニディーズ王、女郎屋の亭主の役と大奮闘するが、いま一つパワー不足を感じる。ペリクリーズを演じる平澤智之も熱演なのだが、劇っぽくなって、心にぐさりと来ない。

自分だけの印象かもしれないが、このところのシェイクスピア・シアターの舞台に感じることであるが、全体的に暗く、活力を感じないのだ。もっと八方破れの、疾走するような活力があってよいのではないかと思う。

行儀がよすぎて、まじめな生徒で、面白みに欠ける。もっと舞台を遊んだらいい。

ペンタポリスでの騎士たちが銘文の書かれた盾を持っての登場を、ホリゾントの障子の影絵にして映し出す趣向などは面白いと思ったし、全体的な精彩さを欠いた印象を別にすればまとまった舞台ではあった。

 

(上演時間は、途中休憩10分を挟んで2時間45分)

 

(訳/小田島雄志、演出/出口典雄、5月8日(土)夜、俳優座劇場にて観劇)

 

 

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