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  横浜シェイクスピア・グローブ(YSG)ドラマティック・リーディング
               "The Tempest" (『あらし』)     
No. 2009-008

 シェイクスピア全戯曲DRAW企画第6回目の作品に、シェイクスピア単独執筆として最後の作品と考えられているThe Tempestが選ばれたその背景としての理由について、座長瀬沼達也氏の思い入れが最初に披瀝された。
 シェイクスピアの作品の中でも最も上演しにくい作品と言われているのが、一に『リア王』、二番目にこの『テンペスト』が挙げられているということを紹介され、それでもなお果敢にチャレンジされた背景には、YSGのDRAW企画を今回最後のつもり(実際にはそうではなくとも)で選ばれたということであった。
 今一つは、5年前関東学院大学シェイクスピア英語劇題54回公演で演出したThe Tempestのプログラムの中で氏が書かれていたことにも関連するが、現在の自分には手に余る作品であり、20年後、70歳になった時再度演出したいとあるが、このことについてもローレンス・オリヴィエの自伝に触れ、彼がリア王を演じるについて40代、50代では若すぎたが、70代では演じるのにきつすぎる、60代の時に演じたかったということから、今回のDRAW企画としても、未完成であり、かつ稽古でいえば立稽古でもなく、半立ちでもない途中経過の状態であるが、チャレンジされたということであった。
 今回のドラマティック・リーディングにおいては、初心者の参加を意識して、これまでにない準備をされていた。
 日本語による『テンペスト』のあらすじ紹介を、エドマンド・デュラックの挿絵を紙芝居に使って行った。
リーディングは5幕1場の部分を、ゲストの瀬沼恵美さんがミランダ役を務めて、瀬沼氏親子の二人で行われた。また一部の台詞について、最近出された大場建治訳の翻訳で格調高く朗読された。
 瀬沼氏は途中で何度も、「台詞は歌うように、歌は語るように」という、森重久弥が言った言葉を繰り返し言われていた。瀬沼氏は、一般の朗読劇に参加されて欲求不満や消化不良を感じておられるその理由として、朗読して終わりという一方通行への不満があって、この企画では観客との相互交流を特に意識され、第二部のアフタートークに特に力を入れられていた(予定時間を大幅に上回って、結果的に第三部のワークショップを割愛することになったほど盛況な交流の場となった)。
 そのアフタートークでは5年前、関東学院大学の英語劇でプロスペローを演じたホソカイ君もゲスト出演。
 ドラマティック・リーディング終了後も全員がアフタートークに参加し、メンバーとしては関東学院大学の学生、町田のシェイクスピアを楽しむ会代表のNさん、昨年9月に戸塚地区センターで文化講演会「シェイクスピアと海」を企画されたWさん、その講演会に参加されて関心を持たれた姉妹の方(シェイクスピアを特に読んできたわけだはないが興味をお持ちだという)、それに学園理事長でその高等学校校長でもあるSさんを交えての活発なトークがなされた。
 まず5年前の関東学院大学での『テンペスト』公演に当たっての、イソカイ君の感想などから話は進められたが、そのマクラに、観劇日記に触れられていたエアリエルが3人登場の話題となって、矛先が自分に向いてきたが、自分で書いていてまったくその内容についていて失念しており、結果的には観劇日記を書き始めた理由など自己宣伝的な話しをすることになってしまった。
 登場人物関係図において、瀬沼氏より、アントーニオやセバスチャンは他の作品では善人として登場(アントーニオは『ヴェニスの商人』、セバスチャンは『十二夜』で登場する)し、『テンペスト』では悪玉として登場させたシェイクスピアの意図は?というような疑問提示をされ、しかもこの二人は台詞上では一切後悔の言葉を言わず、沈黙したままだということなどが指摘された一方で、シェイクスピアは人物を一面的に見ず、人間にはいい面悪い面を多面的に抱えていることを述べられた。
 また、ミランダとファーディナンドが岩屋の中でチェスをしているが、なぜチェスなのか、ということについて、チェスと将棋の起源は同じインドであることなど紹介され、当時のイングランドとインドという関係からのヒントを指摘された。
 Nさんからは、昨年観られた文楽での『テンペスト』では、アントーニオとセバスチャンの二人は後悔して、許しを請う台詞が述べられたということを指摘され、プロスペローについては好きになれない人物だと言われた。
 プロスペローの好悪については、ジュディ・ディンチが嫌いな人物としてあげるポーシャと比較して見て面白い見解だと感じた。両者とも完全無欠の善玉としての振舞であり、それは見る者にとっては傲慢と重なるもので、鼻もちならない嫌味でもある。もちろん、シェイクスピアはいかようにも演じられる(感じられる)ように台詞を書いているので、人それぞれの感想があって然るべきだと思うが。
 Wさんからは、瀬沼氏の朗読において、'R'の発音を巻き舌でされたことについて、特に意識されてのことであるのかどうか質問が出された。
 瀬沼氏の説明では、オペラなどの出演者の実際の話として、劇場の広さなどにより、'R'の発音を'L'との差異をはっきりさせるためにも意識してそのように発音することがあるという例をあげながら、その理由について説明をされた。
 Sさんからは、シェイクスピアはいかようにも読めるので、テーマを意識して読まないと焦点がぼやけてしまうということを、村上春樹の小説の読みやすさと比較しながら説明を加えられた。
 それぞれの方がそれぞれの分野で活躍されているだけに、話題と議論は尽きない者があり、有益な交流の場であったと思う。

5月8日(土)昼、横浜、馬車道・大津ギャラリー

 

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