― 人間、森羅万象、この世はすべて夢・幻 ―
「星は、宇宙の塵―
文明の澱(おり)・ゴミ。
社会のひずみ。人間のゆがみ。
人間のクズ―」
という声(ナレーション)が、天球の果てから神の声のように木霊してくる。
無限から有限に閉じられ、そして有限から無限へと開かれる―
舞台を支配しているのは、星を散りばめた半球の真っ白な天球儀。
無限窮の美しい夜空を表象する天球が瓦解して、廃墟の世界が表出される。そこは魔女が支配する世界。
壮大な世界と卑小な世界のコントラストの表象。
五人で演じる『マクベス』は、マクベス(野村萬斎)とマクベス夫人(秋山菜津子)を除いて、三人の役者でその他のすべての人物を演じる。
そのことでこの劇が、すべてが魔女に支配されて動かされているという象徴性を強く感じさせる。
魔女が、その場でバンクォーになり、ダンカンにもなり、マクダフにもなる。
その人物の役を降りると、彼らはマクベスの動きを見つめる魔女となる。そこにいて、そこにいない存在。 そのことで、マクベス(とマクベス夫人)は、魔女に支配された中で動いているにすぎない、と感じさせる。
マクベスは、仏様の掌で飛び回っている孫悟空のようなものである。
魔女を演じる三人の役者は、寺山修二の舞台を踏んだ肉体演技の、高田恵篤、福士恵二、小林桂太。
無駄なものをすべて削ぎ落として、わずか1時間半に凝縮された『マクベス』。
それは魔女を通して映し出されたマクベスであり、マクベス夫人であった。
二人は実は魔女を相手に動かされていただけのようである。
バーナムの森がダンシネーンに迫ってくるのも、魔女が手に紅葉した楓の木を手にして、象徴的に表出される。
マルカムが率いる軍隊とマクベスの戦いは、舞台中央の天球儀の回転で表象される。
マクベスの最後は、その天球儀の外側で回る土星の輪のような円盤状を逆向きに走り、倒れては起き、起きては走り、走っては戻され、ついには力尽き倒れる。
円盤は天球の周りを一周めぐって、倒れたマクベスの跡には、蟻塚のようでもある塩の山を思わせる塚が照らし出されていたのが象徴的―人間、森羅万象、この世はすべて、夢・幻―でもあった。
舞台美術と、魔女を中心に据えた演出と構成に、詩情が漂う印象を感じた舞台だった。
訳/河合祥一郎、構成・演出/野村萬斎、美術・衣裳/松井るみ
3月9日(火)夜、世田谷パブリックシアター
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