『アントニーとクレオパトラ』は、最近では知っている限り、2003年1月に板橋演劇センターが『ジュリアス・シーザー』との二部構成で連続上演しているのみで、日本で上演されることは極めてまれだが、シェイクスピアの作品で初めて見たのがこの『アントニーとクレオパトラ』だったこともあり、シェイクスピアの中でも前から見たいと思っていた作品である。
自分が見たのは故郷の九州で学生時代の時であるが、どういうわけか、イノバーバスを演じた名古屋章が舞台下手の袖のあたりに立っていた光景だけが鮮明な印象で残っている。
もう40年以上も昔の話なので、それがほんとうに名古屋章だったのか今ではあやふやであるが、成美堂出版『シェイクスピア作品ガイド37』によれば、『アントニーとクレオパトラ』の1968年劇団雲による上演記録があり、岸田今日子がクレオパトラを演じた写真が載っていて、自分が見た年代とも一致し、名古屋章も劇団雲に所属していたので間違いない記憶だとは思う。
劇団AUNの『アントニーとクレオパトラ』はその期待に応えてくれるスケールの大きな見応えのある舞台であった。劇団代表の吉田鋼太郎は、最近では蜷川幸雄の舞台に欠かせない存在になっており、それに乗じて劇団も小劇団からメジャーな劇団になってきたような気がする。
今回の舞台はそのようなメジャーな劇団に変貌したAUNを見る思いがした。
中央部観客席がピットにいるような感じの馬蹄形の舞台で、張り出した両袖には階段がついているので、観客席通路が役者の登場に使われるであろうことがわかる。
舞台は二段構成で、五、六か所に階段が取り付けられていて、上り下りできるようになっている。
左右の舞台を広く使うことと、舞台が二段構成ということで垂直的動作も入る大きな動きの演出である。
ホリゾントには終始、大きな円の下半分の映像が映し出され、それが舞台の進行に伴って色を変え、形を変え、舞台全体の象徴性を明示する。それは月となり、日輪となり、宇宙全体の表象のようにもなる。
開幕は弦楽の音楽にのせられて、深紅の画面に英語でタイトルが表示され、映画的手法に引き込まれていく。
舞台が明るくなると、舞台中央に置かれた浴槽でアントニーとクレオパトラが戯れてあっており、舞台上手の袖の部分では、その二人の様子を見ているアントニーの部下のファイローとディミートリアスが、アントニーのクレオパトラへの寵愛ぶりを語っているところであり、その鮮やかな演出がまず目を引く。
クレオパトラの宮殿では、北島善紀が演じるイノバーバスが孔雀の姿に変装する道化振りには驚いた、というか最初はそれがイノバーバスであることが分からなかった。
舞台全体を通しての印象としては、最初に取り上げたホリゾントに映ずる半円の映像の変化の象徴性と、弦楽器を基調とした笠松泰洋の詩的情緒を誘う音楽が舞台全体の雰囲気に大きな役割を果たしていたと思う。
登場人物では、谷田歩が演じるオクターヴィアス・シーザーが最も印象的であった。
吉田鋼太郎が演じるアントニーの敵役としての憎まれ役を見事に演じていたと思う。
そして最も印象に残る場面としては、安寿ミラが演じるクレオパトラが霊屋の玉座で死の眠りにつく最後の場面であった。弦楽器の音楽と合わせて、彼女を照らす照明によって、荘厳なまでに静謐な感じを起こさせ、思わず涙が滲んできたのだった。静かな沈黙に悲しみが包まれる場面であった。
途中休憩15分をはさんで、3時間の上演時間。
訳/小田島雄志、演出/吉田鋼太郎
10月3日(土)昼、池袋サンシャイン劇場
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