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  無名塾・能登演劇堂ロングラン公演 『マクベス』          No. 2009-028

●観劇までの準備
 能登演劇堂限定公演ということで、およそ半年前からチケットを予約手配していた。
 限定公演でなくとも一度は能登演劇堂で無名塾の舞台を見てみたいというのは長年の夢でもあった。
 チケットの予約が確定してから、東京から能登までのアクセスの確認と手配がまた一仕事であった。
 フライトの予約では、当初帰りの便が取れずキャンセル待ちであった。
 空港から演劇堂までのアクセスの方法、ホテルの予約など、すべてが初めての作業で、特に空港から劇場までのアクセスの方法に苦労した。チケットが取れてからは、無名塾の案内のチラシで、空港からのアクセスにふるさとタクシーなるものがあることもわかり、無事解決。劇場から宿泊の和倉温泉駅までのアクセスも送迎バスがあり、これらの予約も観劇の2か月前にすべて完了し一安心した。

●観劇当日
9月21日(月)、羽田発10時15分発のANAで、能登空港に定刻の11時15分着。
能登空港から、能登演劇堂のある能登中島町駅までふるさとタクシー(マイクロバス)で、約35分。1300円 也。タクシーは和倉温泉まで行くのだが、中島町を散策する予定にしていたので、自分はそこで降りる。自 分の前に座っていた四人の女性(中年の主婦)たちのおしゃべりで、彼女らも当日の演劇を見るため5月の連休前から予約していて、和倉温泉で有名な(?)食事処で昼食をとり、和倉温泉で宿泊し、翌日も能登見学などする話などをしていた。
能登中島町で降りたのはいいが、あたりには何もなくどっちへ行けばいいのか見当もつかず、演劇堂の方向を教えてもらっていたので、とりあえずそちらに向かって歩く。
すぐ近くのガソリンスタンドで地図を見せて自分のいる場所を確認し、ついでに教えてもらった食事処、そのガソリンスタンドの対面の割烹「お富」に入る。
一人なのでカウンター席に座り、無難なところで当日のお勧め品、そばセット(そばと握り寿司)を頼む。
店の構えは立派で、客も結構入っていたが、仲居のおばあさんが板前の用意した料理の配膳をことごとく間違えて客に出しているのが愛嬌であった。
自分が頼んだ料理は、そばがブチギレでつまみにくく、味わうどころではなかったのが残念であった。寿司のネタはよかったが、セットで1800円という値段の価値は感じなかった。

●中島町・万葉の散歩道を歩く
中島町には、大伴家持が船上からながめたという万葉集にゆかりがある熊木川が流れていて、その川辺の散歩道を歩いた。
東京を出るときは少し肌寒いくらいだったので長袖のシャツを着て行ったのだが、こちらはじっとしていても日向では暑く、歩くと汗が噴き出てきた。
散歩道は全長550mあり、その最後の地点、上町橋の傍らに万葉集の歌碑がある。
『万葉集』巻16、3878番の能登の国の歌が詠まれている。

 「梯立の 熊来のやらに 新羅斧 おとし入れ わし 懸けて懸けて 勿泣かしそね 浮き出づるやと見む わし」
 熊木川は七尾西湾に注ぐ、今は変哲もない小さな川であるが、万葉集ゆかりというだけで懐かしさを覚える。
 前日20日はお熊甲(かぶと)祭りであったが、その祭りをしのばせるものは、町内の寄付金の提供者の貼り紙だけで祭りのあとの賑やかさの名残は全くなかった。
 熊木川の川辺を散策した後は、逆戻りの方向に、中島商店街をゆっくり歩いて回った。
 どの店にも演劇の町を紹介する幟をかかげ、無名塾の『マクベス』のポスターが貼ってあり、町中がそろって無名塾を応援している様子が一目で知れる。
 商店街を通り過ぎ、蓮淨寺を横にそれて、能登演劇堂へと向かう。
 暑さと歩き疲れで、演劇堂の手前にあるお休み処「あん庵」で休憩をとり、くりきんとんで抹茶をいただき(600円)、小田島雄志訳の『マクベス』をそこで読み終える。
 開場30分前の4時に演劇堂に入り、仲代達矢とその妻宮崎恭子の展示品を見学し、『マクベス』のプログラムを買う。一部千円。

●中島町の風景が『マクベス』の舞台の一部となって融合
 能登演劇堂の最大の特徴は、舞台後方が観音開きになって、借景ができる構造になっていることである。
 今回の舞台はそれを最大限に効果的に利用していて、借景の場面では観客席までもが舞台の一部となったような気がし、劇場全体が舞台という壮大なスケールを感じさせる。
 舞台後方が開かれるのは、劇の最後の方であろうと予測していたのが、魔女が登場する最初の場面ですでに開放されていたのが少し意外でもあった。上部のみ外の風景が見える状態であったが、それだけでも雰囲気は普通の舞台とずいぶん違って感じた。
 ホリゾントが全開されるのは場面でいえば1幕3場、フォレス近くの荒野、マクベスとバンクォーが登場してくる場面である。
 前景の野原が荒野をイメージさせ、後方には青々とした林の丘が陽の光を受けてまぶしく照り映えている。 壮大としか形容のしようがないほどで、自分が舞台の中心にいるような錯覚を覚える。
 映画以上のスケールの広がりに、自分が風景の一部になったようで、気分爽快となる。自分の座席は17列14番という劇場の中央部で、舞台全体が完全な視野に入る位置であった。
 その壮大な風景の中を、騎馬武者が左右を駆け抜けていくと、拍手が沸き起こる。
 馬から下りたマクベスとバンクォーが舞台におもむろに歩いて登場し、ホリゾントが閉じられる。
 だが、なんといっても見せ場はエンディングに近い、バーナムの森が動いて迫ってくる場面。
 騎馬武者の疾走、総勢50人におよぶ中島町の人たちによるエキストラの兵士たちが、木々に身を隠して前進してくる情景は、森が揺れている、バーナムの森が動いて迫ってくる現実そのものである。リアルという言葉を超えた生のものそのものである感動に心が躍る。まさに見て楽しむ劇である。
 そこには仲代達矢が語るように、イデオロギーもテーマも、コンセプトも必要ない。
 劇場全体が一体となった喜びである。

●演出上の興味について
 舞台演出の壮大さ以外に、いくつかの興味ある演出もあった。
 一つは、魔女の一人を男優が演じていることで、台詞を通して感じるイメージに幅を感じた。
 今ひとつ面白いと思ったのは、マクダフがイングランドに訪ねてきたとき、マルカムは一人の女性を侍らせて戯れている演出。この演出は自分にとって初めて目にするもので奇抜なアイデアだと思った。
 少し惜しいと思ったのは、マルカムの相手にしている女性が普通の女性のような、それでいてどこか娼婦のようなところがあるのだが、マルカムの擬態を示すには『忠臣蔵』の大石内蔵助のように、遊女(娼婦)を数人侍らせるような演出法の方がもっと面白く効果的になるような気がした。
 自分としては不満足であったのは、マクベスの眼前に現れる短剣の幻。これは舞台が広いということもあっての演出であろうが、短剣がマクベスと相当距離のある位置に出現し、マクベスが掴もうとするにはあまりに離れ過ぎていて台詞の緊張感が薄れるような気がした。
 魔女がマクベスの前に呼び出す3つの幻影の場面にも同じようなことが言える。
 特に第三の幻影の場面では、バンクォーと8人の王の幻影が一人、一人と続けて現れるところだが、一時に出現して、拍子抜けする物足りなさを感じた。
 個人的な印象としては、はじめのうち自分には仲代達矢がこれまで何度も演じたリチャード三世を感じて、マクベスとしては少し異質さを感じた。それは仲代達矢独特の台詞術からくる影響であったかもしれない。彼の台詞術は、人を酔わせる詩の響きがあって、それが台詞に同質性を感じさせたゆえんかもしれない。
 若村麻由美のマクベス夫人も個人的な感想としては、派手さはあっても印象度の高いマクベス夫人ではなかったのは、期待値との差かもしれない。
 額縁舞台という構造上からくる印象もあるだろうが、新劇的平面さを感じた。
 シェイクスピアはやはり張出舞台が似合う。
 突出した演出ではないが、楽しむ舞台としては申し分ないものであったし、それだけで満足できる舞台でもあった。
 途中休憩15分を挟んでの2時間30分、楽しく過ごすことができた。

 

訳/小田島雄志、台本/隆巴、演出/林清人
9月21日(月)、能登演劇堂

 

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