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  劇団タイプスNo.35公演 『リア王』      No. 2009-025
 

タイプス設立10周年記念公演の第3弾。

昨年末、タイプスの内部で何かが起こり、それまでのメンバーのほとんどが去って、旧メンバー3名が残って、新たな活動を従来に劣らず続けて、今年になって10周年記念として2作上演し、第3弾がシェイクスピアの『リア王』。

劇団主宰の新本一真も心機一転、名前を一馬から一真に改めての再出発であった。

劇団の内部事情については知らないので、これ以上立ち入るつもりはないが、一昨年に創立11周年を迎えたアカデミック・シェイクスピア・カンパニーが分裂状態になって、塾生数名を残しての再出発となった状態を思い起こす。

シェイクスピア作品に真摯に取り組む劇団のすべてに、敬意と応援の気持を抱いているだけに、元気な再出発を見るのは嬉しい限りである。

劇団タイプスは必ずしもシェイクスピア専門の劇団ではないが、シェイクスピアを軸足にしていることが分かる劇団である。

10周年という記念と、再出発後の最初のシェイクスピア作品(10年記念の最初の2作はシェイクスピアと全く関係ないオリジナル作品)。

リア王に、演劇集団円の大谷朗を迎えたところに、その意欲が伺える。

小劇団でしかも自前の劇団員がほとんどいないにもかかわらず、大人数の賑やかで豪華なキャスティングは、主宰者の新本一真の人徳か、人的ネットワークの広さか?(新本は、文学座・研修所、円・研修科、劇団シェイクスピア・シアター出身)

全体の印象としては、非常にまじめな作りであり、几帳面さを感じさせる舞台であった。

このことは、これまでに見てきたこの劇団のシェイクスピア作品上演においてすべて言えることのように思えるので、「質の高いプロデュース活動」を求める新本一真の基本姿勢と言えるだろう。

反面、きっちりしすぎて、刺激の乏しい舞台ともいえる。これは見る人次第の問題だろう。

大谷朗のリア王は、新国立劇場で上演された山崎努のリア王を思い出させる風貌であったが、彼ほどの狂気、緊張感、凄味を感じさせない。

それを強く感じたのは、3幕2場の嵐の場面と、死んだコーデリアを抱いて「泣け、泣け」と叫びながら登場する場面、物足りない気分であった。

また、水島文夫演じるグロースター伯がドーヴァーの崖から飛び降りるシーン(もちろん架空の出来事だが)では、ひらひらと舞い落ちるような所作をして、リアルさを出そうとしているのが却って不自然であった。

その同じドーヴァーに近い野原の場面(4幕6場)、狂乱のリア王が大きな布(それは冒頭の国分けに使用された地図を描いた布)を引きずって登場してくる。

その中には死んだ道化が入っていた。

新しい工夫ではあるが、リアがそれを引きずって登場してきたとき、道化がその中にいるだろうということは、自分にとって想定の範囲内でしかなかったので、特別な驚きも刺激もなかった。

しかしながら、その道化を演じた江畑浩規は、若さの特権だろうか、これまでいろいろ見てきた道化とは異なる新鮮なものを感じた。

休憩なしで約2時間30分の上演時間であるが、意外に長くは感じなかった。

 

(訳/小田島雄志、構成・演出/ぱく・ばんいる、8月1日(土)昼、
新宿シアターモリエールにて観劇)

 

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