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  りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ 『テンペスト』      No. 2009-022
 

能楽堂を舞台にした'りゅーとぴあ'シェイクスピアシリーズとしては今回はじめて本物の能を取り入れている。

能を演じるのは観世流緑泉会代表で、重要無形文化財保持者である津村禮次郎。役はエアリエル。

栗田芳宏の『テンペスト』を見終わったときの印象は、栗田のプロスペローと津村禮次郎のエアリエルの二人の舞台で、その他は風物、あるいは背景としての風景のような存在として感じたことであった。

それは、ほかの登場人物の影が薄いという意味ではなく、プロスペローとエアリエルの存在感が舞台全体を圧倒していたといったほうがいいだろう。

それはあたかも能舞台のシテとワキの関係を思わせた。

栗田の'りゅーとぴあ'シェイクスピアシリーズ舞台では、数名の女性がいつもコーラスのような形で登場するが、今回は、その四人がエアリエルの台詞を語るコーラスの形をとっている。

津村が演じるエアリエルは能面をつけ、能の所作、台詞は語らず、そのまま謡で行うのみである。

そのプロスペローとエアリエルのふたりの対峙が非常に緊張感を生じさせる舞台である。

栗田のプロスペローの台詞力が奥行きの深い重厚さと、濃密な存在感をもって迫ってくる。

眼を閉じて彼の台詞を聞いているだけで、舞台が鮮明に脳裏に浮かんでくる。

シェイクスピアは台詞を聞く舞台であるというが、日本語でこれほど台詞を聞かせる舞台を感じさせるのは稀有なことだろう。

他の登場人物が風景のようであると書いたが、それは全体の中での関係であって、それぞれ存在感のある演技で魅了する。

ミランダ(山賀晴代)、ファーディナンド(傳川光留)、ゴンザーロー(小池匡)以外の登場人物は、一人二役で演じられる。

文学座の廣田高志がアントーニオとステファノー、荒井和真がアロンゾーとトリンキュロー、河内大和がセバスチャンとキャリバンをそれぞれ演じる。その二役の組み合わせが作為的で面白い。

ひとつだけ(でもないが)分からなかったことは、ファーディナンドが能面をつけて登場し、最後までその能面をはずさなかったことである。

津村のエアリエルは別にして、なぜ彼だけが能面をつけ、そして最後もはずさなかったのかが疑問だった。

それは、最後にはファーディナンドが能面をはずすであろうと勝手に思い込んでいた自分が肩透かしを食ったことへの当惑から生じる疑問だろう。

ミランダの、「ああ、不思議!こんなにきれいな生きものがこんなにたくさん。人間はなんて美しいのだろう。ああ、素晴らしい新世界」は、ミランダの台詞というより、不思議にもシェイクスピアその人の言葉に聞こえた。

それはプロスペローの最後のエピローグの台詞と重なって、シェイクスピアが演劇界から退く舞台への感謝と、惜別の哀しみの響きを感じさせるものがあった。

時広慎吾の舞台衣裳もこのシリーズの楽しみの一つでもある。

古風でいて今様のファッションを感じさせ、和様のようであってどこかエキゾチックな衣装が、舞台に鮮明なイメージを創出するのに一役買っている。

 

(訳/松岡和子、構成・演出/栗田芳宏、7月19日(日)昼、表参道・銕仙会能楽研修所にて観劇)

 

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